よくあるアメリカの歴史と、先史時代

アメリカ合衆国
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まずはアメリカの歴史の「常識」のおさらい

 アメリカの歴史といわれて、皆さんが意識するのはどんなものでしょうか。

 イギリスの清教徒(ピューリタン)が17世紀初頭に新大陸に渡航して理想社会の建設を目指しました。

アメリカ独立戦争を戦ったジョージ・ワシントン

 それが18世紀末にイギリスの植民地から独立して、初代大統領にジョージ・ワシントンが就任しました。彼は独立戦争を勝利に導いた優れた指導者でした。
 また、三代大統領になったトマス・ジェファーソンは、いわゆる啓蒙時代の知識人で、この時、独立宣言を起草したことでも知られています。その雄弁さは彼の名声を高めただけでなく、後の人権宣言の規範にもなりました。
 彼らは合衆国建国の父として、アメリカで最も偉大な人物に数えられています。

トマス・ジェファーソン

 ナポレオンとの交渉により、ルイジアナを買収したことによって、西への更なる道が拓けたのは、大きな変化でした。また、米英戦争、米墨戦争を通して、合衆国は着々と領土を増やしていきました。

エイブラハム・リンカーン

 当初は奴隷制とプランテーションの存在するアメリカでしたが、19世紀半ばの南北戦争を経て、そうした社会は改められました。その時代の大統領だったエイブラハム・リンカーンは、奴隷解放の父と呼ばれています。

ゴールドラッシュの時代

 一方、アメリカ大陸を西へ西へと開拓する動きは続き、19世紀半ばのゴールドラッシュもあって、大陸横断鉄道の建設も始まりました。この時代、人々の間には、置かれた環境の中で努力し、自力で富を得るというアメリカンドリームと、更なる辺境を目指すフロンティアスピリットの精神が芽生えました。現代にも繋がるアメリカ人の基本的なメンタリティです。
 ですが、19世紀末には太平洋までの広い範囲が開拓され尽くされて、合衆国はフロンティアの消滅を宣言しました。

 20世紀に入ってから、アメリカは飛躍を果たします。一次大戦を通して戦勝国の仲間入りをしたアメリカは、世界に影響力を発揮する強国となりました。しかし、世界恐慌が起きると世界はまた混乱をきたして、二次大戦が勃発します。ここでも勝利を手にしたアメリカは、ソ連と並ぶ世界の覇者となりました。
 やがて20世紀末にはソ連も解体し、アメリカだけが唯一の超大国になります。

コーンパイプを咥えているのがダグラス・マッカーサー

 そして今に至る、と……

 この歴史は、あくまで現代のアメリカを支配する階級の人々にとっての「歴史」です。そのキレイなところだけを拾い集めて説明しました。
 ですが、別にアングロサクソンの人々が移住する前からアメリカ大陸はありましたし、人間も住んでいました。実際のところ、そこにいた人々がどういう生活をしていて、どんなことを思っていたのか、それをなぞるのが歴史でしょう。とするなら、現代における一般的な理解は、非常に一面的なものと言わざるを得ません。

ベーリンジア陸橋からの移住者、その後の孤立

 およそ一万五千年前までには、アメリカに人類が到達していました。正確な時期はいまだに研究者の間でも意見が分かれていますが、少なくともこの時期までは氷河期の影響により、海岸線は後退し、よってベーリング海峡はなく、ベーリンジア陸橋を渡って人類や動物がアメリカに渡ることができたのです。
 彼らはさまざまなルートを辿って、一部はグリーンランドに、また一部はパナマ地峡を通って南米にまで至りました。そしていくらかは、北米に留まったのです。

 その後、どうやらかなり長い間、新大陸に渡った人類は孤立し続けたようです。これは、大陸の外から見ても、また内部においてもです。

 まず、「外」から。
 古代地中海世界における海洋民族だったフェニキア人が新大陸に到達した、その碑文もブラジルにある、という説もあるのですが、それが本物であり、事実であると確認されているわけではありません。三年間の航海に耐え得るフェニキア人で、彼らは喜望峰すら回りこんでいたといわれていますが、陸沿いにいけるアフリカとは違いますし、そもそも当時のブラジルには富を産むものがありませんでした。
 また、アメリカ先住民が外に向かって進出した、ということもないようです。「イースター島の人々は、チリから出発した人々の子孫ではないか」という仮説を立証するために、ヘイエルダールがコンチキ号で海を渡る実験をしました。航海そのものはうまくいったようですが、現代ではこの説は否定されています。イースター島はポリネシア人の第三角形の右下を占める点であって、アメリカ先住民とは異なる人々が移り住んだ土地なのです。

 そして「内」についても。
 古代アメリカ人は、一般に、自分達が住み着いた土地から大きく移動することは稀でした。
 このことは、彼らの遺伝情報によって証明されています。ベーリンジアを通ってやってきたアメリカ先住民の遺伝的多様性は、全体としては低いです。例えば血液型は、先住民のほとんどがO型です。ところが、集団と集団の遺伝的差異は大きく、調べれば簡単に判別できるというのです。つまり、民族集団ごとの通婚関係はなかったか、あっても希薄だったはずなのです。

ヴィンランドの伝説とグリーンランド植民地の滅亡

 恐らく、という但し書きつきですが、アメリカ先住民と最初に接触したヨーロッパ人は、ヴァイキングでした。10世紀末、殺人の罪により赤毛のエリクはアイスランドを追われました。彼は追放期間中に北方を探検し、発見した島を「グリーンランド」を呼んで移住者を集めました。
 その息子レイフは、グリーンランドを目指す航路から外れた漂流者の話を聞いて、西にまだ未発見の土地があるのではないかと考え、探検に向かいました。最初に見つかったのが岩だらけの国だったのでヘルランド、次に見つかったのが木々の生い茂る陸地だったのでマルクランドと名付けました。そしてついに野生の小麦が生えている土地に辿り着いたので、ヴィンランドと名付けて、ここに移住することにしました。

レイフ・エリクソンによるアメリカ発見を記念する切手

 しかし、これはうまくいきませんでした。これも恐らくはアメリカ先住民ですが、ヴァイキング達が「スクレリング」と呼んだ集団が邪魔になったからです。
 記録に目を通す限り、ヴァイキング達はスクレリングの殺害を躊躇しなかったようです。遭遇についてのヴァイキング側の文書には、端的に殺害したことが書かれており、交易や通婚については、あまり述べられていません。最初は物々交換が成り立っていたものの、そのうちにスクレリングがヴァイキングの鉄のナイフを欲しがり、それを拒否したために争いが起きたりしたようです。
 長らくただの伝説として片付けられていたこれらの記述ですが、現在ではカナダ東部のニューファンドランド島にいて、ヴァイキングの入植地の跡が発見されており、事実だったらしいことが明らかになっています。

カナダに残るヴァイキングの入植地跡

 それでも、ヴァイキング達は北米植民地を長く維持できませんでした。そればかりか、グリーンランドも放棄せざるを得なくなったのです。理由は、地球の寒冷化です。

 そもそも中世こそ地球温暖化の時代でした。一時的に気候が温暖になったため、アルプスでは氷河が融解して洪水が起き、人々がその理由を司祭に尋ねたことなどが記録に残っています。また、中世の文書に見られる「海の大司教」……現代ではダイオウイカらしいと考えられているのですが、これが海面近くまで浮かび上がってきたのも、海の温暖化による海底の無酸素化が進行したからではないかと考えることができます。
 そういった温暖化のおかげで、寒冷なグリーンランドにもヴァイキングは移住でき、しかもそこで豚だけでなく、無理やりとはいえ牛の飼育にすら成功していたのです。もっとも、牛が暮らすには寒すぎたため、多くの場合は所有者の見栄でしかなく、実用性はなかったのですが。

 しかし、その後15世紀までに地球は再度寒冷化します。いわゆる小氷期の訪れです。これによってグリーンランドに入植したヴァイキングの子孫は全滅しました。
 既に15世紀前半の時点で、グリーンランドが半ばヨーロッパから必要とされなくなっていたことも無視できません。それまでは北方で採取されたセイウチの牙などがヨーロッパで重宝されていましたが、この時代にはもう、他の地域からの交易品で代替できてしまえていたからです。そのため、交易船も稀にしか立ち寄らなくなっていたのです。
 1500年代にグリーンランドの入植地に立ち寄ったヨーロッパ人は、跡形もなくなった入植地について記録しています。後の時代の発掘調査によって、その悲惨な最期が明らかになりました。子牛の骨までしゃぶるような飢餓状態にあったというのです。最後の財産を使い切るところまで追い詰められ、なおも生き延びることはできなかったのです。

 そんな中、着々とグリーンランドに勢力を伸ばしていったのが、北方系のアメリカ先住民の一派、イヌイットでした。
 ほんの僅かの間、ヨーロッパ人の新大陸への進出は途切れたことになります。

十月第二週はコロンブス・デーだが……

 ですが、1492年、コロンブスは西インド諸島に到達しています。
 これ以降、アメリカ大陸には次々とヨーロッパ人が押し寄せてくることになるのです。孤立の時代の終わりでした。

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