「西域」を愛する人ならば
「大宛(フェルガナ)の汗血馬」
「モンゴル軍 vs ホラズム・シャー朝」
歴史をこよなく愛する皆さんなら、この辺のキーワードにビビッとくることでしょう。きっかけは井上靖の歴史小説だった、なんて人も結構いるんじゃないかと思います。ですが、具体的には、今の世界地図でどの辺だったっけ……と思い出そうとすると、なかなか出てこない。
ウズベキスタンは「西域」諸国の中でも、特に西トルキスタンと呼ばれる地域にあたります。中国にとっても遠い異国の地でしたが、実はイスラム圏の中でも辺境とされていました。それでいて高度な文化が花開き、富み栄えもした地域なのです。
大宛国
高校の歴史の教科書にも、張騫の名前は出てきますね。
前漢の武帝は、北方を脅かす匈奴に対抗するため、優れた騎兵戦力を必要としていました。実際、高祖劉邦の時代には、中華の皇帝ともあろうものが、「北狄」に膝を屈する有様だったのです。そのため、高品質な馬を手に入れようと、張騫が勅命を受けて西方を旅したのです。
結局、外交努力では優れた種馬を手に入れることは叶わず、武力によって大宛国から馬を手に入れました。
この大宛……フェルガナという国は、どこにあるのか。
現在のウズベキスタンの北東部がそれです。首都タシケントから自動車で数時間、列車で行くならタジキスタンの領土内を横切った先に、やっと辿り着ける場所にあります。
ただ、もしわざわざ訪ねても、がっかりするかもしれません。現在のフェルガナという街は、新たにロシアによって建設され、地域名をそのまま割り当てられただけの場所だからです。当時を思わせるものは何もありません。何もかもが見事にロシア化しており、街並みにも見るべきものは特にないのです。
この地域で歴史ある大都市といえばアンディジャンですが、あのバーブルが支配権をかけて戦った痕跡を見つけるのは難しいでしょう。
但し、別の意味でなら、まだまだ価値を失ってはいません。
フェルガナ地方のリシタンは、実は陶磁器の名産地でもあります。ウズベキスタン中部のギシュドゥヴァンと並んで有名です。フェルガナといえば、青みがかった陶磁器なのです。また、マルギランは国内最大のシルクの生産地でもあります。
サマルカンドはホラズム?
ホラズムという単語も、耳にしたことがある方もいらっしゃるかと思います。
井上靖の『青き狼』は、チンギス・ハンの生涯を小説にしたもので、多くの歴史ファンに愛読された作品ですが、その物語の後半にて、モンゴルの外交使節がオトラルの守将に虐殺される話が描かれています。怒り心頭のチンギス・ハンは大軍を率いてホラズムと戦い、これを滅ぼします。
チンギス・ハンは、降伏する相手の命は奪いませんでした。但し、降伏するかどうかを決めるチャンスは戦う前、最初にしか与えなかったのです。
ホラズム・シャー朝の本拠、サマルカンドでの戦いは、酸鼻を極めるものでした。記録によれば「少女から老婆まで、あまさず強姦された」といいます。街は完全に破壊され、再建されることはありませんでした。
このサマルカンドという街は、どこにあるのか。

これも現在のウズベキスタンの南東部にあります。首都タシケントから、今度は列車で南下するのですが、そう遠いことはありません。山を一つ越えればタジキスタンという位置関係でもあり、ここにはタジク系の人達が非常に多いです。
サマルカンドは、一度、モンゴル軍によって完全に破壊されました。では、今ある街は? 少しズレた場所に再建されたのです。中世までのサマルカンドは、今でいう「アフラシャブの丘」の上にあります。写真を見ると、ただのボコボコした緑の丘が見えるだけですね。

再建された後のサマルカンドにも、多くのドラマがありました。
あのアミール・ティムールはここを本拠としたのですし、ウルグ・ベクはここに天文台を設置しました。少し前に亡くなりましたが、ウズベキスタン初代大統領のイスラム・カリモフも、この街の出身です。
更に更に、サマルカンドはおとぎ話の中でも有名です。
あの千一夜物語……アラビアン・ナイトといったほうが通じる方もいらっしゃるかも……の語り部は、いわずと知れたシェラザードですが、彼女が嫁いだのがシャーリアール、アラブと中国を合わせた地域すべてを支配する大王でした。
シャーリアール王は、ある日、弟に会いたくなりました。その弟シャーザマンは「サマルカンド・アル・アジャム」……“異邦なるサマルカンド”の王でした。もとはといえば、このシャーザマンの妻の不倫が、物語の起点になっています。
では、サマルカンドはホラズムなのか?
現地でそんな認識でいたら、地元のウズベク人には変な顔をされるでしょう。
ホラズム地方というのは、もっと西側のことです。サマルカンドから西へ、ブハラを越えて、国土の大半を占めるキジルクム砂漠を渡った向こう側にあるのが、いわゆるホラズムです。
森薫氏の漫画作品『乙嫁語り』には、煌びやかな衣装を身に纏った女性達が登場しますが、あれはどちらかというと、ホラズム地方の服飾デザインを参考にしているようですね。
遠いけど、遠いだけじゃない国
ウズベキスタンは、その他のトピックでも、実はしばしば私達の目に触れています。
まず、ネガティブな話題ですが、アラル海の環境破壊。大量の水を消費する綿花栽培が旧ソ連時代に強制されたのもあって、この湖の面積は年々縮小しています。
それから、これもネガティブといえなくもないですが……実は日本人が、この国で命を落としています。
二次大戦後のソ連によるシベリア抑留。多くの日本兵が、当時のソ連の国内のあちこちに送り込まれ、そこで強制労働に従事させられました。その一団が、タシケントでの労働にもまわされたのです。
旧日本軍の将兵は、ここでナヴォイ劇場の建設に携わりました。中央アジアを代表する詩人、アリシェル・ナヴォイを記念する建造物です。そしてこの仕事が、ウズベク人にとっての日本人のイメージを形作ることになりました。

1966年、タシケントを大地震が襲いました。多くの建物が倒壊する中、ナヴォイ劇場はビクともしなかったのです。
「日本人は、強制労働でここに来たのに、こんなに立派な建物を残していったのか!」
そういうわけで、ウズベク人は、割と親日的だったりもします。
カリモフ大統領も、ここを建造した日本人の碑を残す際「間違っても彼らを捕虜などと書くな」と述べたそうです。
ウズベキスタン、と言われると「世界地図のどの辺だったっけ」となる方が多いようですが……なので、実はそんなに縁遠い国でもないのです。
歴史を愛する人なら、一度は訪れてみてもいいかもしれません。