マハッラとは
中央アジアは、イスラム世界における「辺境」です。そのせいか、その信仰生活には、どうしても土着の要素が滲み出てきます。
ウズベキスタンの田舎には、マハッラと呼ばれる村落共同体が、今も息づいています。これは、貨幣経済の外側、いわゆる信用経済の領域です。
例えば、誰かが家を建てるとなった場合、施主は建材を自分のお金で用意しますが、人手はというと、これは村の男達が集まって、手を貸してくれるのです。もちろん、そうやって助けてもらうのですから、誰かが同じことをしたら、自分も助けにいかなくてはなりません。
また、いわゆる頼母子講、金の融通も、マハッラの中で行われることがあるようです。
チャイハナ、という言葉はよく知られていますね。お茶の部屋、という意味ですが、要するに若者同士が集まって、一緒に料理をしたり、お茶を飲んだりして、お喋りをするのです。
ウズベク人は、近況報告をしあうのが好きです。挨拶は「アッサローム・アレイクム」だけでは終わりません。その後、「元気?」から始まり……その回答は、どんなに不健康でもたいてい「元気だよ、君は?」ですが……最近どう? 何かあった? あの人はどうなった? 商売は? と互いに質問責めにするのです。
こういう根掘り葉掘りの質問も、共同体として深く繋がっているがゆえでしょう。
マハッラのあり方は、ソ連やウズベキスタン政府とも深く結びついています。
ソ連時代には、綿花の栽培が強化されました。なにしろ共産主義国家のモノカルチャーですから、ほぼ無償でひたすら綿花を摘まなくてはなりません。これを担うのに役立ったのが、マハッラでもありました。村人総出で、子供まで動員して摘むのです。そのせいで、「児童労働」を非難され、ウズベキスタンの綿花に対して不買運動が起きたことさえありましたが……
今の政府は、マハッラの機能性に着目して、行政機構に組み込もうとしているようです。果たしてうまくいくのかどうか……

マハッラの中のイスラーム
社会主義時代には、イスラム教は「迷信」として排除されていました。ですが、信仰は習慣に根付いており、マハッラの中で保持されていました。
マハッラの中には、ムッラーやオティンと呼ばれる人達がいます。前者は男性、後者は女性ですが、どちらもクルアーンをよく学び、ムハンマドの言行録であるハディースにも詳しい人のことです。彼らは必要に応じて、何かの儀礼において役目を果たしたり、相談を受けた際にはイスラム法の観点から助言を与えたりしています。
ムッラーの中で、特にモスクの管理などにあたるものを、イマームといいます。礼拝などの宗教活動を指導するからです。一方、墓地や聖廟の管理を担うのはシャイフで、こちらはいくらかイスラム神秘主義の色合いをもっています。
ソ連時代以前には、ここにウラマーとカーディーが加わります。
ウラマーはイスラム神学者ですが、しばしば都市の行政に関わりました。コーカンド・ハン国が成立する前、ブハラ・ハン国の支配力が弱まった際には、ウラマー達が自治を行っていたところからも、それがわかります。
カーディーはいわゆる法律担当者です。法学者、というべきでしょうか。
当然ながら、ソ連当局に目をつけられたのはムッラー達で、しばしば摘発され、粛清されたりもしました。イスラムというのは、それだけで行政や司法も担えてしまう宗教なので、政府としては都合が悪い存在でもあったのです。
一方、女性のイスラムの担い手については、当局の目はあまり行き届かなかったようです。オティンの多くは生き延び、自分達の知恵や経験を後の時代に伝えることができました。
シャーマニズムの痕跡
しかし、辺境の辺境たる所以は、そこに呪術じみた要素が交じり合ってくるからです。
まず、イシャーンと呼ばれる神秘主義者がいます。彼らはムッラーと違って、個人の努力だけでなれるものではありません。血縁などの生まれによって、最初から「神に少しだけ近い人」として存在するとされています。その霊験により、病気を治したり、奇跡を起こしたりするというから大変です。
そんな怪しげな、と言いたいところですが、ウズベキスタン独立後にこうしたイシャーン達は力をつけ、中には数千人の信者を獲得するのも出てきています。
また、バフシ、フォルビン、キンナチと呼ばれる人達がいます。
キンナ、即ち「邪視」のことです。邪視というと、なんだか中二病の邪眼みたいなものをイメージしてしまいますが、悪意ある人の視線が災いをもたらすというのは、西アジア全般で信じられている考え方です。古くは古代エジプトでも、邪視に対抗するためにアイシャドーを塗ったのですし、千一夜物語の中でも、邪視を恐れる父親が、子供をずっと夫人部屋に押し込めたまま育てたりする話も出てきます。
キンナチは、そうした悪意ある呪術に対抗する人です。では、ただの呪術師ではないかと言いたいところですが、その呪いはコーランの一節を唱えることで行われるのです。
バフシやフォルビンも、似たようなもので、こちらは呪いをかけたり、未来を占いで予測したりします。どちらかというと、彼らの魔術は、テュルク系ないしモンゴル系のシャーマンのそれと似通っているのですが、その手順にはイスラムの要素が入り混じっているのです。
彼らがそうした呪術師になるのは、生まれつき精霊がついているからです。そうした霊の力で原因不明の病気に苦しみ、それを治すために呪術の世界に足を踏み入れるのです。そしてこの精霊は、代々受け継がれていくものだとも言われています。
死してなお死なず……聖廟信仰
この地域の信仰としては、聖廟も欠かすことはできません。
キリスト教が大勢の守護聖人を抱えているのと同じように、この地域のイスラム教にも、それがあります。そしてそこには、やはり地元にとって都合のいい創作ストーリーも織り込まれています。
例えば、この廟に祭られているのは、この地域に最初にイスラムをもたらしたクタイバ将軍だが、実は彼は四代カリフ・アリーの子孫、即ちサイードであるとか……
ですが、こうした作り話はウケがよく、時の王、フダヤル・ハンもこれを認める証書を与えていたりしますから、馬鹿になりません。

ちなみに、私も現地の人と付き合おうとして、連れて行かれたのは古い聖廟でした。
彼らの日常の信仰がどこにあるのかがよくわかる、貴重な体験だったと思います。