タシケントの観光

ウズベキスタン
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ここを通らずには済まない

 ウズベキスタンに実際に観光旅行に行く場合、必ず経由するのがタシケントです。

 古くはロシア帝国の総督府が置かれ、そのためにソ連内の共和国であったウズベキスタンの首府もここになりました。独立後も、やはりタシケントが首都になりました。
 そして、二重内陸国であるウズベキスタンの玄関口は、事実上、ここしかありません。ほとんどのウズベク観光は、ユジェニ空港から始まります。……キルギスから陸路で入国とか、そういうマニアックなことができるハードなバックパッカーの方なら、観光情報なんか必要とはしていないでしょう。

 よって、タシケントについても、あれこれ見物しなければ損! なのです。
 ただ、見所は限られますし、それでいてやたらと広いので、こだわりがなければ、個人的には最終日にまわしてしまっていいかなと思います。前日にサマルカンドやブハラからタシケント入りして、その日の夕方に帰国便に乗るなら、日中に回りきってしまう、とか。

早朝なら地下鉄からバザール、そして旧市街へ

 そういう前提でお話しすると、では、どこから観光したらいいのか? 「地下鉄」です。
 何言ってるんだ、と言われそうですが、ウズベキスタンの地下鉄には、雰囲気があります。中央アジア唯一、旧ソ連時代に地下鉄のあった街、それがウズベキスタンなのです。何しろ、今は別個に独立した周辺各国を含むトルキスタン総督府の中心地だったわけですから、整備にも力が入ったのです。
 写真がないですが、中には銃を持った兵士がウロウロ、テロリストの利益になってはいけないからと、こういう公共施設では写真撮影が原則禁止です。なので、行って見るしかありません。

 で、電車に乗ってどこへ行くかというと……街の西側、チョルスー市場に朝早く行きましょう。本当に広いし、なんでもあります。ただ、陶器を買う時などは注意です。偽物のギシュドゥヴァンを見つけたのもここでした。俺は本物を知っている、これはパチモノだろ、と問い詰めたら白状しましたよ。ハルヴァみたいなお菓子を買うにはいいかもしれません。
 飲食店もあるので、朝から軽く何か食べてもいいでしょう。タシケントのシャシリクは小ぶりで、朝から食べても、そうもたれません。

チョルスー市場

 旅のスタイルにもよりますが、ここから旧市街地にフラッと散歩に出るのもいいですし、飽きたら別の場所に移動というのもありです。
 一応、観光ポイントとしては、付近にはクカルダシュ・メドレセがあります。旧ソ連時代には倉庫として使われていたといいますが、これは共産主義国家の常套手段ですね。神聖視されていた場所を、いかにもくだらないものとして扱うことで、権威を失墜させようとしてきたのです。
 ただ、街の雰囲気を味わうということであれば、そういった名所にこだわることもないでしょう。更に探し回れば、いくつかメドレセやモスクがありますが、だいたいは土産物屋か、ムスリムでなければ入れない場所になっています。

独裁国家の新市街は不自然なほど美しい

 また地下鉄に乗れば、ティムール広場付近に出ることができます。新市街はやたらと広い上に、奇妙なほどキレイです。花咲き乱れる公園、緑の芝生、透明な水を噴き上げる噴水、そしてティムールの騎馬像。独裁国家の虚飾といえばそれまでですが、ここだけ見れば、先進国と遜色ありません。

美しい公園の様子

 そう頑張って探すまでもなく、この付近には飲食店もいくつかあります。ただ、味はわかりません。わからないというのは、食べてみなければレベルがわからない、という意味です。ただ、コーヒーは飲まないほうがいいでしょう……溶かし損ねのネスカフェとダダ甘ケーキが出てくるだけです。
 また、この辺の飲食店は、他の地域の普通の店よりずっと値が張ると思っていたほうがいいです。だいたい三倍はします。その代わり、寿司屋もありますし、選択肢は幅広いです。

内陸国のウズベキスタンにある寿司屋……ネタは冷凍か?

 なお、私はここで、現地の若者とちょっとだけお話をしました。なんと、高麗族とアゼルバイジャン人とトルコ人のグループです。出国まで時間がなかったので泣く泣く断ったのですが、サウナに行こうと誘われましたっけ。

ナヴォイ劇場

 新市街の都心部の見所は、一応ナヴォイ劇場と、あとは多数の博物館です。
 一応、というのは……だって、チラッと見たら、終わりだからです。中に入って隅々まで確認するわけでなし、時間のかかるポイントではありません。
 また、新市街にはいくつか博物館がありますが、新市街自体がバカみたいに広いので、タクシーを多用するとかしないと、あれもこれもまわりきれません。私は街の様子を目に焼き付けたかったので、歩きながら焦らず観光しました。

値は張るが、選べばいいものもある

 それくらい見たら、あとはもう、お土産くらいしかないです。
 値が張ってもいいなら、アブドゥルハシム・メドレセに行くといいでしょう。ここには伝統工芸の職人がいて、観光客の目の前でいろんなものを作っています。木彫りの皿とかありますよ。但し、本当に見栄えのするカッコイイものだと、日本円で四万円くらいは普通にしていました。
 ただ、こういうお土産は嵩張るので、最後に見繕って買うにはちょうどいいということがあります。ヒヴァやブハラにもお土産の店はありますし、こちらには本物のギシュドゥヴァンの陶器もありましたが、長距離移動を控えた状態でこれらを抱えるのは避けたいところでしょう。そういう意味では、タシケントは絶好のショッピングポイントです。

職人の技を見ながら品定め

タシケントの歴史、おさらい

 タシケントの街自体は歴史が長いです。石国、シャーシュ、チャチ……どれも「石の街」という意味らしいです。
 古代においては交易で成り立っていた都市国家でした。それが唐帝国の高仙芝の攻撃を受けて、西方のアッバース朝の救援を求めたのが、この地域のイスラム化のきっかけです。一応、その前にクタイバによる侵略はあったのですが、その時点ではそこまでイスラム化は進展しなかったようです。
 次にタシケントが歴史の脚光を浴びるのは、やはりバーブルでしょうか。シャイバーニーに負けて、サマルカンドを捨てて逃げるも、故地のフェルガナ地方は裏切った部下に占拠され。居場所をなくした彼が、この地を支配していた叔父、モグーリスタンのマフムード・ハンに屈した場所です。
 ここでバーブルは、随分と苦しんだようです。十五歳の若さで貧乏生活、もういっそすべてを捨てて東方に逃れようかと悩んだ時期でした。そのせいか、彼は後年、部下に大勢のモグール人(モンゴル系の人々)がいたにもかかわらず、彼らを嫌っていました。
 しかし、ここまでの歴史の痕跡は、ほぼありません。十六世紀の、シャイバーニー朝の力があった時代のメドレセやモスクが、旧市街のほうにいくつかあるくらいです。それ以外の歴史の遺物となると、もう総督府時代以降のものになります。

 なので、観光するにしても一日か、長くて二日でしょう。
 といっても発着がここなので、もし急ぎ足で観光するなら、到着した日か、その翌朝にでも移動できるよう、旅程を組んだほうがいいかと思います。例えば、すぐさまヒヴァ行きの飛行機に乗るとか、サマルカンドに列車で移動するとかです。

 入口かつ出口なので、よく計画する必要がありそうです。

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