サマルカンドの観光

ウズベキスタン
スポンサーリンク

どれだけ時間をかけられるか

 ウズベキスタンに観光旅行で来て、サマルカンドを外そうという人は滅多にいないでしょう。
 ちゃんと見てまわろうと思ったら、どう考えても一日以上、必要になります。周辺の観光ポイントまで含めると、三日はかかってしまいます。取捨選択が必要になるところですね。

ここだけは外せない、サマルカンドのシンボル「レギスタン広場」

 サマルカンドの観光ポイントは、タシケントみたいにバカ広い街ではないので、時間に余裕があれば歩いてまわることも可能です。ただ、ウルグ・ベク天文台はかなり遠い場所にあります。シャーヒズィンダ廟群などの街の北東の観光ポイントより更に一キロほど先ですから、できればタクシーを使ったほうがいいでしょう。
 ホテルも、できれば街の中心か、東側で探したほうがいいです。西側は、郷土史博物館など、限られた観光ポイントがあるだけで、あまりメジャーなものがありません。

グリ・アミール廟

 どんな旅程でサマルカンドに来るかにもよりますが、もしできれば、朝から街の中心近く、グリ・アミール廟から北東方向に向かってみていくと、無駄が少ないかと思います。
 グリ・アミール廟はなかなかきれいで見応えがありますが、近くのルハバッド廟はそこまででもありません。さっさとレギスタン広場に出て、じっくり見てから北東方向の大通りを歩くといいと思います。間もなくビビハニム・モスクなどのポイントに差し掛かります。
 ただ、そこからが少し歩きにくくなります。南東方向に走っている道路が、車がバンバン走っていて渡りにくいのです。しかも、シャーヒズィンダ廟群とアフラシャブの丘に向かうのと、道が分岐してしまいます。
 多少回り道になっても、まずシャーヒズィンダ廟群をざっと見てから、回り込んでアフラシャブの丘に向かうといいかもしれません。途中、博物館もあるので、覗いていきましょう。もちろん、余裕がない場合はここでタクシーに乗って天文台を目指すという手もあります。ここから天文台が、歩くと結構遠いのです。
 少し遅めの昼食を摂って、体力と時間があれば、ここから別の場所を目指すのもいいでしょう。興味次第ですが、西側の観光ポイントを探すか、南のイシュラトハナ廟を目指すかになると思います。
 これでだいたい、一日がつぶれると考えて間違いありません。

独特の青の美を堪能しなくては来た甲斐がない

 ただ、近郊には他にも見所があります。

 ティムールの故郷、シャフリサブス
 世界遺産にも登録された、貴重な遺跡があります。

 スザニで有名なウルグットの市。
 朝一番に出かけていって、品物を見るだけでも楽しいでしょう。

賑やかなウルグットの市

 これらを足していくと、どうしても三日くらいはかかりそうなのです。急いでも二日でしょうか。その場合は、初日にサマルカンド市内を頑張って見終えて、二日目の午前中に市、そのままタクシーを貸切にしてシャフリサブスまでまわりきる、と、こういう感じになるかと思います。

周辺都市への移動

 こうなってくると、旅程が悩ましいところです。

 日本の観光客は、時間がありません。だから移動は夜行列車とかで軽く済ませたいところなのですが……タシケントとサマルカンドでは、2~3時間しか、かかりません。日中の貴重な時間をこの移動に使うのはもったいないです。
 さりとて、たとえばヒヴァから夜行列車で……と思っても、これも案外よくないのです。今のダイヤがどうなっているかはわかりませんが、私の時は、昼の三時頃にヒヴァを出て、サマルカンド到着は真夜中の三時頃です。これでは寝不足になります。まぁ、その間、キジルクム砂漠の景色を楽しむことはできますが……
 ブハラも近いのですが、こちらも列車で3時間程度の距離です。なんとももどかしい限りですが。

ヒヴァに行くなら飛行機がオススメ、但し砂漠は見られない

 時間に悩みたくなければ、もうバンバン飛行機を使ったほうがいいかもしれません。お金はかかりますが。

 なお、ここもタシケントと同じく、基本的にはキレイな街です。
 初代大統領イスラム・カリモフの出身地だからです。でも、タシケントとサマルカンドだけ見て、こういう国なんだ……と思うのは、やめたほうがいいです。地方に行くと、落差がすごいことに気付きますから。

美しいサマルカンドの公園

サマルカンドの歴史、おさらい

 サマルカンドもシャフリサブスも、古い歴史のある街です。

 アレクサンドロスはマラカンダ……現代のサマルカンドを征服しましたが、ここを後にして、更に東方に向かいました。最終的には、タジキスタン東部のホジャンドに「最果てのアレクサンドリア」を建設していますから、まだまだ先に進んでいたのです。
 ところが、その後背を衝いたのがスピタメネスです。ダレイオス三世を裏切ったベッソスの配下で、彼を裏切ってアレクサンドロスに仕えたソグド人の将軍です。が、アレクサンドロスの不在を機会とみて、マラカンダの奪取に動きました。以後、一年あまりに渡ってアレクサンドロスは彼に悩まされることになりました。
 シャフリサブスについても、この時代の記述が存在します。スピタメネスと共にアレクサンドロスに降ったオクシュアルテスは、娘のロクサーネを差し出しました。彼女とアレクサンドロスが結婚したのが、ここシャフリサブスでもあったのです。

 この地域は大月氏の支配下に入り、やがてクシャーナ朝が勃興して、南方に勢力を広げます。仏教も、この地を経由して東方に広まったのでしょう。
 時代が下ると、今度は何れも中国の歴史書に登場します。タシケントが「石国」なら、サマルカンドは「康国」、シャフリサブスは「史国」でした。昭武九姓の一つとして、その存在を知られていたのです。

 サマルカンドは、その後もこの地域の主役であり続けました。
 イスマイル・サーマーニーもこの地を支配しましたし、カラハン朝も同じくここに腰を据えました。西遼の耶律大石が、トルキスタンの覇権をかけて、再興したセルジューク・トルコのスルタン・サンジャルと決戦に臨んだのも、サマルカンドの近郊、カトワーン平原でのことでした。

旧サマルカンドのあったアフラシャブの丘

 ですが、モンゴル軍の侵入によって、一度、この街は完全に破壊されました。今もアフラシャブの丘には、でこぼこした緑の土があるだけです。
 そして悲しいことに、サマルカンドの古代の遺物は、ほとんど目にすることができません。僅かに博物館にて、発掘された遺物が見られるばかりです。

ソグド人達の残した遺物は博物館に納められている

 それを再建したのがティムールであり、ウルグ・ベクでした。
 特に、ティムール没後のサマルカンドの主要な統治者は、ウルグ・ベクだったといえます。二代アミールのハリールはたった四年で地位を失いましたし、三代目のシャー・ルフは拠点をヘラートに移して、サマルカンドをウルグ・ベクに委ねたからです。彼の統治は三十年以上にも及び、その間、この都市は比較的平和でした。グリ・アミール廟などの主要な建造物も、多くは彼の時代に完成したのです。
 その後はシャイバーニー朝の時代に入りますが、レギスタン広場を構成する三つのメドレセのうち一つはウルグ・ベクによるもので、あと二つはシャイバーニー朝の時代に追加されたものです。

 美しい保存状態の場所が多く、また破損していたビビハニム・モスクなども修復されているので、特に知識なく見て歩いても雰囲気だけで楽しめる場所ですが、できれば歴史を噛み締めたいものですね。

タイトルとURLをコピーしました