もっとも古い遺物の残る街
ブハラは、歴史の痕跡を求めてウズベキスタンに来たのなら、立ち寄らないわけにはいかない街です。
というのも、中央アジアは栄枯盛衰の激しい土地柄で、何かにつけ破壊、破壊の連続です。とりわけ、サマルカンドを木っ端微塵にしたモンゴル軍の罪は重いといったらありません。古代から連綿と続いた多様性の世界が、ここでバッサリ断ち切られてしまったのですから。
歴史の長さだけでいえば、日本よりずっと古いはずの中央アジアなのに、だから最古の遺物で、普通に観光できるものとなると、なんと九世紀からになってしまうのです。日本の法隆寺が1300年の歴史を誇っているのに、こちらは三百年も若いのです。
それでも、最古の遺物が残るのがここ、ブハラです。
いきなり小汚くなる……

ブハラに到着すると、もしかしたらビックリするかもしれません。きれいなタシケント、サマルカンドを見てからだと、いきなり汚らしくなったように感じるでしょう。駅を降りて歩き出すと、物乞いが何か言いながら手を伸ばしてきたりします。少なくとも、私の時にはいました。
市街地に出ると、観光客に手を振って近寄ってくる人達がいます。物乞いもそうでしたが、こちらも女性が少なくありません。うちはホテルをやってるんだが、宿泊しないか……みたいな話を持ちかけてくるのです。或いは、一日でブハラの主要な観光ポイントを巡るから、ガイドにしてくれ、日本語で説明すると。
相手するかしないかは自由ですが、基本的にそこまで危険性はありません。ホテルといっても個人宅を改装しただけの部屋に案内されるだけですし、ガイドといっても日本語は以前に出会った日本人観光客に教えてもらったローマ字書きの説明文を、ひどいイントネーションで棒読みするだけです。
しかし、ブハラはまだマシなほうなのです。
ウズベキスタンは経済成長を続けてはいますが、それによって潤っているのは社会の上層だけです。だから、田舎に行けば行くほど貧しくなります。
タシケントや、カリモフのお膝元だったサマルカンドはまだきれいで裕福です。それにヒヴァはというと、街の規模自体が大したことない上に、ほとんどが観光だけで食べているから、そこまで深刻でもありません。ですがブハラはとなると、もちろん観光も盛んですが、それ以外の産業がろくにありません。そして、かつてはブハラ・ハン国の首都だったこの街は国内では大都市の一つです。人口はヒヴァの三倍ほど。観光はあっても、観光だけでは苦しいのです。
これが名もない田舎になると、もっと悲惨です。観光すらないのですから、貧しい農村が広がるばかりで、本当にどうしようもありません。
だから、市街地を歩くと、なんだかインドとロシアの折衷みたいな雰囲気があります。
よくロシア帝国はこんなところを征服しようと思ったな、と感じました。ここがちょっと前までソヴィエト連邦の一部だった、と言われても、違和感すらあります。
観光は一日ちょっとで足りる
ブハラはサマルカンドより更に小さな街なので、近郊を巡りたいのでなければ、本当に一日で観光を終えることができます。街を東西に貫くバハウッディン・ナクシュバンディ通りを歩くだけで、ほとんどの観光ポイントに近付くことができてしまいます。計画的に見てまわれば、歩行距離は5キロにもならないでしょう。
見逃したくないのは、なんといってもウズベキスタン最古の建造物であるイスマイル・サーマーニー廟、それとカラハン朝末期に建造されたカラーン・ミナレットでしょう。

市内には、数々のメドレセがあります。
ここで一つ豆知識です。では、モスク(寺院)とメドレセ(神学校)の違いは、どこでしょう?

外見で識別できます。
はい、そうですね。
祈りのための場所であるモスクには、ミュアザン(読経僧)のための塔があるのです。イスラム圏に行くと、たまに夜中の三時頃に「祈りは眠りに勝る……」とかなんとか、大音量で読み上げる場面に遭遇します。アレをやるためのものがあるのがモスク、ないのがメドレセなのです。
では、その理屈でいくとチョル・ミナルは?
塔はあるけど、小さすぎるし……こちらは、メドレセの施設の一部として建造されたものです。が、本体のメドレセはもう残っていません。

それから、アルク城も見ておきたいところです。ブハラ発祥の地……ですが、今の建造物はブハラ・ハン国時代のものです。

あとはタキとハウズですね。街を歩いていれば自然と目に入ります。
タキとは、一種のアーケードです。ただ、今はただの土産物屋でしかありません。とはいえ一応、ブハラの刃物は名産品とされています。ただ、もし買うのであれば、嵩張りませんが手荷物に入れるのは避けたほうがいいでしょう。空港でチェックされてしまいます。
ハウズとは溜め池のことです。オアシスの象徴ですが、チラ見した後、特にやることはないので、それで終わりでしょう。

近郊には、スィトライ・マヒ・ホサ宮殿があります。
私はわざわざ見に行きましたが……これは、ブハラ・アミール国がロシア帝国に保護国化されてから完成した建造物です。なんとロシア革命のたった六年前、1911年完成ですから、まだまだ新しいです。
ここのアミールは、ハーレムの女達相手に、それはもう、羨ましいことをしまくったそうです。水浴びさせて、それを見物しながら今夜の相手を選んだとか……けれども、あまりに短い栄華でした。
やはり旅程の組み方が問題に
こじんまりとしたブハラなので、効率的に動けば本当に一日で見物が終わります。二日あれば万々歳、少し頑張れば近郊の見所まで押さえることも可能でしょう。
但し、問題はアクセスの悪さです。
まず、ブハラには列車がきません。
いや、すぐ近くのカガンまでは来ますので、そこからタクシーに乗るなどすればいいのですが……
旅程を組む上で悩ましい位置関係にあります。
タシケントと行き来する場合、深夜列車がちょうどいい位置関係にあります。8時間前後で到着ですから、寝ている間に辿り着けます。理想を言えば、夕方にユジェニ空港に着いたら、そのまま深夜列車でブハラに移動、一日半でサマルカンドに移動、二日かけて観光したら飛行機で次へ移動……こんな感じにしたいところです。
ただ、サマルカンドに行くということは、タシケント方面に戻るということなんですが。どうしても旅程に無駄は出てしまいます。もっといえば、国内線の飛行機はタシケントを中心としているので、都市間をきれいに結んでくれません。つまり、ブハラからヒヴァあたりに出ようと思ったら、どうせタシケントに飛ばないといけないのです。
なお、この辺を旅行代理店に頼むと、好ましくない旅程になる可能性があります。なぜかというと、要はコネでできているので、「タシケントに絶対一泊してくれないと、先方が納得してくれない」というような条件がついてきてしまうのです。
ブハラの歴史をおさらい
ブハラの歴史も、サマルカンドに匹敵するものがあります。
こちらも唐の時代には中国に知られていて、「安国」と呼ばれていました。イラン系政権最後のサーマーン朝の中心地でもありました。実は今でもタジク語を話す人が大勢いる地域でもありますが、ソ連解体に伴い、住民の所属民族とはかかわりなく、ウズベキスタン国内に編入されてしまっています。
シャイバーニー朝の支配下でも、こちらが首都になりました。
いろんな時代の遺物があるので、それぞれの来歴を噛み締めながら堪能したいものです。