マイナーな観光地は……
ウズベキスタン観光の主要目的地は、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ、そしてどうしても立ち寄らねばならないタシケントを除くと、あとは一応ながらフェルガナ盆地と南部地方が残るだけとなります。
一応、というのは、いずれも主要な観光ルートから外れているためで……
フェルガナについては列車もサマルカンドからしか繋がっておらず、しかもタジキスタン領内を通過するという、この上ないアクセスの悪さがあるためです。そのくせ、見るべきものはといえば、せいぜいのところ、コーカンド・ハン国時代のフダヤル・ハンの宮殿くらいです。
南部はというと、テルメズなどの仏教遺跡を目当てに旅するのもいいですが、なんといってもアフガニスタン国境が近く、治安が悪いです。
フェルガナ観光
まず、フェルガナから。
もし、どうしてもどうしても行きたい、というのなら、選択肢は二つです。
タシケントからの航空便を利用するか、タクシーを借り切って無理やりカムチック峠を越えるか。飛行機なら1時間ちょっとで到着できますが、なんといっても本数が少ないです。ちょうどいいタイミングに飛んでくれるとは限りません。そうなると、バスかタクシーでの移動となりますが、5~6時間は覚悟しないといけません。

正直なところ、なので、説明する必要があるのかどうかさえ、疑わしいです。ここを歩こうという旅行者は、きっとよほど歴史に詳しいか、そうでなくても「踏破することに意味がある」とするようなディープな人に決まっているからです。多分、フェルガナ地方を旅する人というのは、特に何か理由があってフェルガナを訪れる人でもない限り、キルギスやタジキスタンに陸上から抜けていく人ではないかと思います。
フェルガナ地方で見るべきものは、コーカンド・ハン国時代のフダヤル・ハンの宮殿を除けば、あとはリシタン、マルギランのような工芸品の産地くらいでしょうか。前者は陶磁器、後者はシルクを製造しています。
フェルガナ自体の歴史は、もちろん浅くはありません。
ただ、「最果てのアレクサンドリア」はタジキスタン国内のホジャンドですし、大宛国の痕跡なんてどこにも残っていません。ロマンを追うなら、せいぜいのところ、バーブルの奮闘を思い返すくらいでしょうか。当時の遺物はほとんどありませんが、彼の故郷がこんな場所で、こんな景色だったのかと追憶するのみです。
シャイバーニーの征服によってここはウズベク国内となりましたが、その後、17世紀に独立してコーカンド・ハン国が成立します。それから清朝との交易で繁栄し、一時はカシュガル方面まで征服するほどでした。19世紀初頭には、まさに絶頂期を迎えていたのです。
ですが、たった五十年であっという間に没落、ロシアの侵攻を受けてあっさり滅亡しました。
テルメズ、バイスンの観光
一方、南部はというと、バイスンやテルメズが観光ポイントでしょうか。
ただ、この辺はやたらと貧しいです。商店に行っても何もない、なんてこともザラ。観光客自体も少ないです。
バイスンには、独特の文化が残っています。ウズベクの織物といえばアトラスですが、ここではジャンダという別のデザインのものが存在します。カシタ・ギラムという刺繍もあります。五月にはこの地域固有のお祭りもあるといいます。面白そうですが、かなり不便な地域なので、覚悟して行くべきでしょう。
この地域で活躍した日本人に、加藤九祚(かとうきゅうぞう)氏がいます。
彼はテルメズ近郊の仏教遺跡を発掘し、ウズベキスタン政府からも勲章を受けています。生涯研究に携わりましたが、2016年、発掘作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。

列車で移動するとなると、ブハラからカルシ経由で一気に南東に向かうか、シャリフサブスまでタクシー貸切で移動して、そのままの勢いでカルシまで南下するかになるかと思います。
或いは、タシケントからテルメズまで、飛行機で移動するという手もあります。多分、この方が楽です。
逆にテルメズからどこへ抜けるかですが、その場合の行き先はきっとタジキスタンになるかと思います。そこから北へと列車で抜ければ入国できます。
ただ、この辺りを堪能したいなら、一週間程度の旅行では足りないでしょう。フェルガナやテルメズまで見ようと思ったら、他の地域も訪ねるなら最低二週間は取らないと足りません。また、余裕のないスケジュールで動き続けるのは体力的にも無理がありますから、どこかでゆっくりするタイミングも必要です。