中央アジアの国境線
地図を確認しましょう。ウズベキスタンは、他の中央アジアの国々に囲まれています。
北側のほとんどを占めているのは、映画『ボラット』で名前だけ出てきたカザフスタン。カザフを南北に縦断すると、その向こうにはロシアが見えてきます。
西側の国境も、ほとんどがカザフスタンに堰き止められています。カスピ海の手前で途切れてしまっているのです。その南には、トルクメニスタンが控えています。あの有名な観光地『地獄の門』で知られる国ですね。
ウズベキスタンの南の国境のほとんどはトルクメニスタンが締めていますが、東側の国境線はやや複雑です。タシケントから東に向かえばキルギス、少し南から東進すればタジキスタン、そして国土の東南端はアフガニスタンに接しています。
この位置関係を「カトウタキ」と覚えるのは、中央アジアに詳しい人達の間では、「あるある」です。
で、じっと地図を見て……
……なんかヤバそうだ、と感じた方。敏感で大変結構です。
みんな仲悪し
基本的に、中央アジアの国々は、お隣と大変に仲が悪いです。険悪といっていいでしょう。
特に、ウズベク人はカザフをライバル視しています。この前の2016年リオデジャネイロオリンピックでは、ウズベク代表がカザフ代表より多くのメダルを手にしたので、国をあげて大喜びしたくらいです。
それから、旧ソ連の一部だったので、なんといいますか、はい……KGBがいまだにのさばっています。
カリモフの閣僚だったエリョール・ガニエフも、KGB出身ですね。そして裏ではロシアンマフィアも暗躍しています。
特に、ウズベキスタンは金の産出国で、そこには利権が存在します。お土産に金のネックレスを買うくらいは問題ないですが、間違っても金の貿易ビジネスに興味をもたないほうがいいでしょう。そっち系の人々とお近付きになってしまいますので……
ご近所はイスラム過激派
他、イスラム過激派の脅威も存在します。お隣のアフガニスタンと並んで、長年にわたって紛争が繰り広げられてきた土地です。
ティムール朝はまもなく分裂し、そこからは紛争の繰り返しです。やがてシャイバーニー朝が進出して、ブハラ・ハン国を興しました。また、別のジュチ・ウルスからヒヴァ・ハン国が、そして残ったフェルガナ地方には、後にコーカンド・ハン国が生まれました。
それでも比較的安定していたウズベクと違って、アフガンのほうは悲惨の一語です。
ティムールの子孫のバーブルがカイバル峠を通ってインドを征服し、ムガール朝を興します。ところが、二代皇帝のフマユーンの時代にシェール・シャーがアフガンを含む北インドの広い範囲を制圧し、彼は生涯かけてそれを奪い返さなくてはならなくなりました。
かと思いきや、今度はサファヴィー朝イランから侵攻を受け、領土を奪ったり、奪われたりを繰り返します。その後も短期間に王朝が入れ替わりました。アフガンで百年と続いた国はなかったのです。
二十世紀になってようやくイギリスの支配を撥ね退けて、アフガニスタン王国が成立しますが、その後も内紛が続きます。クーデターが繰り返され、ついにはソ連のアフガン侵攻を招きました。
そしてこの紛争の果てに、ここからあのタリバーンとアルカイダが芽を出したのです。
アメリカがタリバーンと戦った際には、ウズベキスタンの空港から、北部同盟への支援が行われました。何しろすぐお隣のことですから、カリモフ大統領も気が気でなかったことでしょう。
力による平和
この地で芽生えたイスラム過激派の勢力は、当然、周辺各国にも影響を及ぼします。特にタジキスタンでは、イスラム国の影響も小さくありませんでした。例のイスラム国の武装蜂起でも、中央アジア出身の戦闘員が数多くいたといいます。
ただ、幸か不幸か、トルクメニスタンやウズベキスタンでは、こうした過激派の動きは抑えられています。なぜかというと、ネガティブな理由ですが……つまり、「強権的な独裁者が、主要都市の安全を軍事力によって確保している」からです。
タシケントの地下鉄に乗ればわかります。入口から駅のホームまで、どこにでも兵士がいます。ライフルだか自動小銃だかわかりませんが、見るからにヤバい装備を手にしています。
空港でも、チェックは厳しいです。私が出国する際には、中国人の男性観光客が、ほぼ半裸にされてボディチェックされていました。私も、ヒヴァで購入したお土産が長い棒状のものだったので、機内持ち込みは禁止されました。空港の兵士がそれを振り回して「お前、これを武器にするつもりか」と。捨てるか、分解してスーツケースの中に入れるか、どちらかにしろ、と命令されました。
まぁ、どこでも「危険物の持ち込みは許さない」ということです。もっとも、最近聞いた話では、ミルズィヤエフ大統領の時代になってから、観光客に対する監視を緩める方向で動いているらしいですが……
とにかく、こういうお国柄なので、国民が政府に逆らうことは許されません。
中央アジアの北朝鮮
アンディジャン事件をご存知でしょうか。
国土の北東部、フェルガナ地方のアンディジャンにて発生した武力衝突です。なんと最近も最近、2005年に武装勢力が政府の建物を占拠し、また市民が大統領の退陣を要求しました。これにカリモフ大統領は武力鎮圧で応じました。
なんという独裁っぷり! というのは簡単ですが、この地域の治安を守ろうと思ったら、ここまでしなくてはならないという現実があります。歴史を見ると、甘い顔をした人はみんな滅ぼされています。なんでも許します、話し合いましょう、なんて軟弱な姿勢を見せたら、あっという間にイスラム過激派がのさばるからです。
だから、日本にやってきたウズベク人に話を聞いても、カリモフ大統領の評価は、そこまでひどくないのです。
こういうこともあって、ウズベキスタンは「中央アジアの北朝鮮」と呼ばれることもあります。
しかしながら、結果的にですが、ウズベキスタンの治安はすこぶる良好です。
一般の観光客の立場であれば、暴力事件とか、誘拐、強姦といった被害に遭うのは、かなり稀なことといえるでしょう。