ウズベキスタンを旅するには

ウズベキスタン
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ウズベキスタンに行くには

 ウズベキスタンに行く方法ですが、飛行機以外にありません。
 世界でも珍しい二重内陸国であり、国境を最低二回越えないと、海に出られないからです。

 航空便も、結構限られています。
 成田空港からの直通便は、春から秋までの間しかありません。しかも、割と高いです。それ以外のルートとなると、韓国の仁川空港経由で行くのが一般的です。そのため、10時間以上かかることも稀ではありません。場合によっては、ソウルで一泊するプランになることさえ考えられます。

 ちなみに、韓国はウズベキスタンと国交があり、しかも割と深い付き合いでもあります。ソウルにはウズベク人の居留地もあるほどです。
 これは、歴史的な経緯によるものです。かつてスターリンは、国内の朝鮮族に強制移住を命じました。大日本帝国に通じて、ソ連に反逆するかもしれないと思ったからです。そして、その行き先がウズベキスタンでした。彼らは高麗人と呼ばれ、今でもウズベキスタンで見かけることがあります。
 ソ連解体の際に、韓国政府はグズグズしませんでした。いち早くウズベキスタンと友好関係を取り結び、航空便を繋いで、更には経済関係をも強化していきました。

 だから、あちらで活動しているとしょっちゅう「カレーヤ(韓国人)?」と尋ねられることになります。
 わざわざウズベキスタンまで来る日本人は決して多くなく、それよりは数の多い韓国人じゃないかと思われるのです。

ビザは必要?

 但し、ウズベキスタンへの入国は、日本人のが簡単です。
 日本人観光客については、ミルズィヤエフ大統領の時代になってから、ビザの取得も不要になりました。

 以前なら、日本人ならビザを申請すれば済みましたが、韓国人の場合、インビテーションが必要だったらしいです。これは、現地の旅行代理店などに発行してもらうしかないので、自分で航空券をとってさぁ行こう、というわけにはいきません。
 現実的には、日本国内でウズベクとのパイプを持っている中小の代理店に頼み込むことになります。そういう代理店は「地球の歩き方」などを見れば広告を出しているので、探すのは難しくありません。日本人でも、旅慣れていなければ、こうした代理店を利用するほうがスムーズではありますが……
 楽できる分、旅程をある程度、束縛されることになります。あちらの社会の仕組みを考えると、これはもうどうしようもないと割り切るしかないところです。ただその分、旅費が割高になるでしょう。また、後述しますが、彼らの情報管理は基本的に雑なので、伝達された列車などの時刻が誤っている場合も多々あります。

国内での移動手段

 ウズベク国内に入ってからの交通手段ですが、主として列車と国内航空便に分かれます。
 地続きの国とはいえ、国土の真ん中にはキジルクム砂漠が横たわっており、事実上、分断されているようなものです。なので、西側のホラズム地方を観光したい場合には、飛行機の利用も積極的に検討したいところです。

 国内線の飛行機は、ほとんどが地方都市とタシケントを繋ぐ形になっています。ですが、本数は少ないながらも、ヒヴァとサマルカンドを繋ぐようなルートもないでもありません。もし見つかったら、確保しておきましょう。

キジルクム砂漠、車窓より撮影

 ただ、ヒヴァからサマルカンドまでを列車で抜けるのも、なかなかロマンティックではあります。
 いかにもシルクロード、と言いたくなるような砂漠が広がっているからです。ヒヴァからだと、だいたい昼下がりから翌朝未明にかけて、12時間ほどの旅になります。私の乗ったのだと、午後3時からですから、夜明け前にサマルカンド着でした。早朝にタシケントに着くようになっているのです。

 サマルカンドからタシケント、或いはブハラからタシケントまでは、もう少し短い旅程になります。だいたいブハラからだと8時間くらいです。これまた夜行列車で翌朝タシケントに到着する感じです。

 市内の移動はタクシーか地下鉄になります。

 タシケントであれば、地下鉄が使えます。ただ、東京のものと比べると、利便性は比較になりません。こちらでは窓口でトークンを買い、兵士達のチェックを受けて、やっとホームに下りることができます。まったく自動化されていません。
 但し、地下鉄の造形は必見です。ソ連時代に作られたその内装は、いかにもという雰囲気を醸しだしています。
 残念ながら写真がありませんが、これは撮影禁止らしいためです。地下鉄に限らず、空港などの撮影も、法律で禁止されています。理由は言うまでもなく、テロ対策です。

 タクシーは、たいてい白タク、つまり無免許です。金額も交渉になるので、足下を見られないよう、気をつけなくてはいけません。

 なお、こういう白タクはあちこちにいて、しかもかなり適当な連中だったりします。旅行代理店に約束して、「何時にホテルまで」と告げてあっても、すっかり忘れられていたりします。
 実際に、私がヒヴァからウルゲンチの駅まで送ってもらう時にも、約束の時間になってもドライバーが現れず、かなり困りました。電話をかけると「もうすぐ着く」などというのですが、結局40分後に姿を見せました。要するに、電話を受けてから出発したのです。

コネで繋がる現地社会といい加減な対応

 せっかくなので、旅行代理店のいい加減さを知ってもらうために、このエピソードをもうちょっと続けましょう。白タクで駅に着いた時、私はもう、大慌てでした。ウルゲンチ発の列車は、日本の代理店から渡された書類には「14時15分」と書いてあったからです。
 間に合わない、と思ってバタバタしていたのですが、現地の人にいろいろ教えてもらって確認したところ、本当の出発時刻は「14時56分」でした。

ウズベキスタン国内の道路の様子

 大汗をかきながら自分の寝台に身を落ち着け、同室のウズベク人と雑談し、夜になったら眠って……翌朝未明にサマルカンドに到着しました。
 さあ、ここからは誰にも邪魔されないぞ、もう旅行代理店の連中に付き纏われるのはたくさんだ! と思っていたのですが、そうそう甘い話もあるわけもなく。駅の出口に代理店の連中が張っていて、「どこのホテルに行くんだ」と迫ってきました。
 結局、かなり値の張るホテルに押し込まれ、相当な出費を強いられてしまいました。こういうケースでは、自分でペンションを見つけて入った場合に比べ、4~5倍のコストがかかります。

 なぜ、こういうことになってしまうのでしょうか?

 日本の旅行代理店は、割と大手でも、実はウズベキスタン国内にツテがなかったりします。で、それならどこならあるかというと、この手の旅行に特別のコネを持っている中小の代理店になります。
 そういう代理店は、利権の分配のために働かなくてはいけません。観光客を一人案内します、じゃあ、フリーで動きたいと本人は言っているけれども、最低限、どこそこのホテルに何泊してもらおう……といったように。これをしないと、現地の協力が得られなくなってしまいます。

 だから、ウズベク国内に会社を持っている日本人でも、その辺のルールには立ち入りません。現地の従業員が、数人分のお金を持ってどこかへ消える……その使い道を詮索はしないといいます。

汚職に注意

 最後に、陸続きで国境を抜ける話もしておきましょう。
 といっても、これは又聞きです。

 貿易や物流関係の人が国境を抜ける場合、かなりの時間がかかるようです。テロ対策もありますが、賄賂を要求されることも多々あるらしいです。

 一般の旅行者でも、こうしたトラブルにはよく遭遇するそうです。私は陸伝いに越境したことがないので、自分の経験としてはわかりませんが。

 ただ、この辺も、ミルズィヤエフ大統領の時代になってから、かなり緩和されてきたといいます。検問がいくつもあったのが一箇所になった、という話を聞きました。

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