クスコの近郊も見所いっぱい
クスコに体が慣れて、あちこち出向けるようになったら、今度は周辺のポイントを次々攻略していくのがいいでしょう。ウルバンバの谷には、本当にたくさんの観光ポイントが存在します。
私達は「国」という言葉を聞くと、どうしても面の支配をイメージしてしまうのですが、インカについていえば、その概念はあまり役に立たないかもしれません。
というのも、インカの支配地は、水源が得られて、しかも程よい環境があり、段々畑(アンデネス)を構築するのに適したところにしか、広げられなかったからです。その意味では、点の支配が、か細いインカ道(カパック・ニャン)によって繋がれている、というイメージの方が正しいでしょう。
だから、ウルバンバの谷には、川の流れに沿う形で、いくつもの古い住居跡が見つかります。
広大なピサックのアンデネス
そのうちの一つが、ピサックです。
これはこれで、またオリャンタイタンボとも、マチュピチュとも異なる遺跡です。

ざっと見て「なんだ、マチュピチュみたいなきれいな石組みがないじゃん」と冷めてしまう方もいらっしゃるかもしれません。が、ピサックで目にするべきは、なんといってもこの段々畑。この畑の規模と広さは、これまで目にしたことのないレベルです。
広大な峡谷の狭間に、これだけの大規模な段々畑を建造した。その技術力、動員力の凄まじさは、想像を絶するものがあります。

アンデネス? こんなの、ただ土を掘ってならしただけだろう? そう思うかもしれません。
ですが、それはとんでもない誤解です。この段々畑は、ただ石で横壁を作って土が崩れてくるのを防いだだけの代物ではありません。
アンデネスの下を掘ったら、複雑な構造が顔を出すことでしょう。何しろこれは農地なのですから、崩れてきたのでは困ります。大量の水を流し込み、しかもそれをうまく排出して、土壌の流出は抑え、構造の崩壊も防ぐ……長年の経験により編み出された、高度な土木技術の結晶。インカの精髄、それがアンデネスなのです。
このアンデネスこそが、インカを南米最強の帝国にしたといっても過言ではありません。これを作ることで得られるメリットは、非常に大きなものでした。
まず、山地には「微気候」というものがあります。僅か数十メートル離れているだけで、気温や湿度が大幅に変わってしまうのです。これは、地形の微妙な変化のせいで、日当たりや風向きが大きく変えられてしまうからですが、アンデネスを作れば、そうした差異が平準化され、農作物の育ち方も均一になります。
また、うまく設計することで日当たりを改善することもでき、これによってアンデネスの表面は数度の温度上昇を見込めます。つまり、その分、標高が低い土地で農業をするのと同じ効果が得られるので、収穫量も大きくできます。
この、大きな生産量によって、より多くの人口を養うことができました。人口、即ち力です。
プレインカ時代の多くの民族は、山頂付近に散らばって暮らしていました。標高四千メートル近くの高地では、ジャガイモの栽培すらギリギリです。だから彼らはリャマを飼育して、牧畜に依存していました。
なぜそんな生活をするかというと、防衛力を維持するためです。高所の方が、盆地の下の方よりも戦闘では有利だからです。ですがその分、温暖で生産性の高い土地を利用できず、社会の発展は望めない状況でした。
そうした弱小の周辺勢力を、インカは力で従えることができました。すべてこのアンデネスのおかげなのです。
小さな田舎の村落
山頂付近には、このように城壁のような設備があります。階段は狭く、防衛に適した施設であることが窺えます。
平地を生産地としつつも、山頂の防衛拠点としての利点も捨てていなかったわけですね。


ピサックの遺跡は、山の上にあります。歩いていくのは厳しいのでタクシーを使いましょう。
その麓には、村もあります。
十字路がきれいに交わる区画整理は、スペインの植民地だったことを強く感じさせますね。

観光客向けというところもあるのかもしれませんが、今も色鮮やかなインディヘナのファッションが目を引きますね。
でも、注意が必要です。

わざわざコスプレして撮影されて、それで撮影料金を寄越せと追い回してくる人がいます!
なので、人を撮影する時には気をつけましょう。

しかし、観光客だけがここで取引をするのでもありません。こういう市場のありようは、きっと三百年に渡る植民地時代にも、ずっと変わらず続いていたのではないでしょうか。

他にもいくつか観光ポイントが点在している
ウルバンバの泣き所は、こうした見どころか点在していることです。
どれもこれも、一日コース、ないし半日コースになってしまうのがつらいところです。だから、ペルー旅行は二週間は欲しいです。
他にも素晴らしい観光ポイントがいくつもありまして……まずはチンチェーロ遺跡。
遺跡といっても村もあり、定期的に市も開かれます。

モライ遺跡。
これもアンデネスです。ただ、規模としては小さなものといえるでしょう。
インカの人々は、金属器こそ青銅までに留まっていたものの、高度な技術を誇っていました。そして、農作物の出来不出来は、共同体の運命を左右する重大事でしたから、実際の建造作業に入る前に、テストを行う必要性にも気付いていました。
モライのアンデネスは規模が小さいので、実用性は低かったとみられています。つまり、生産をあげるためではなく、生産実験をする場所だったのではないかと言われています。

マラス塩田。
古代の海があった場所で、地面から次々塩が湧き出てくる場所です。一面真っ白で、インスタ映えしそうですね。
実は、モライやマラス塩田は、物理的距離はオリャンタイタンボからのが近いです。なので、じっくり見てまわるつもりなら、一日タクシーを借り切って、まわってみるのもいいかもしれません。
忘れてはならないサクサイワマン
最後にもう一つ。
ここはクスコから程近い観光ポイントですが、ぜひぜひ目にしておきたい場所です。

サクサイワマン。
これまたパチャクティの時代に建造された要塞です。もっとも、完成したのはワイナ・カパックの時代ですが……
しかし、実際にこの砦が役立ったのは、スペイン人の征服に、マンコ・インカ・ユパンキが抵抗した時でした。

領土拡張の傍ら、クスコの郊外にこんなものを作り上げたパチャクティの真意は、どこにあったのでしょう?
とにかく、彼は権力を維持することの難しさを熟知していた、としか言いようがありません。

この壮大さ。
エジプトでピラミッドを見たことがある人も、見るなら絶対こっち、と言っていました。