内戦と征服者の到来

ペルー
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ワスカルの改革

 ワイナ・カパックの死は、インカ帝国を混乱に陥れました。

12代皇帝ワスカル

 新たなサパ・インカに選ばれたのはワスカルでした。しかし、彼は即位直後から、既に大きな困難に直面していました。自分の支持基盤となるパナカがない。インカ王領がない。そして、未開発の河谷もなく、征服できそうな異民族もいない。これではどうにもなりません。
 よって彼は、それまでの皇帝が先送りしていた問題に着手しなくてはなりませんでした。

 これもベタンソスの記録からです。

「王となった彼は広場に立ち、太陽や死んだ王の遺骸が所有するコカやトウモロコシ畑を、父ワイナ・カパックのものも含め、今後すべて取り上げると宣言した」
「太陽も死者も父も、もう食べることはない。食べないのだから、自分がそれらの土地をもらうのだと言って、すべて自分のものとした。この行為は、インカの王族達を戦慄させた」

 インカ貴族の既得権益を取り上げて中央集権国家を作る。それがワスカルのビジョンでした。
 しかし、それを黙って認めるお人好しがどこにいるでしょうか?

 そうして、最悪のタイミングで内戦が始まってしまうのです。

キトの独立勢力

 天然痘が猛威を振るったキトに、もう一人の王族がいました。彼の名はアタワルパ。この時点では、彼は自分が歴史上、もっとも有名なインカ皇帝になるとは、思ってもみなかったことでしょう。
 しかし、父ワイナ・カパックが死去した後、残された軍勢を率いるのは彼の仕事となりました。本来なら、皇太子であったニナン・クヨチがそれをするはずだったのですが、彼もまた、天然痘で命を落としていたのです。

キトの軍勢を率いたアタワルパ

 とにかく、その時点で最有力の王子はワスカルだったのでしょう。その証拠に、彼の即位後、二、三年は争いもなく、兄弟はクスコとキトにそれぞれ留まったまま、何事も起きませんでした。
 しかし、ワスカルの急進的な改革が、イチャカ・パナカのインカ貴族達の背中を押したのかもしれません。

内戦開始

 どういう経緯でそうなったのかはともかく、アタワルパは異母兄への服従を拒否したようです。ワスカルは兵を起こします。
 なんだかんだ言って、彼は正統なサパ・インカでした。軍を組織するとなれば誰もが従わざるを得ません。そうして大軍を連れてエクアドルに向かい、アタワルパ率いるキトの軍勢と激突します。結果は楽勝だったようです。あっさりアタワルパは捕虜になりました。

 ところが、これで内戦は終わらなかったのです。
 伝承によれば、アタワルパは蛇の姿に化けて拘束をすり抜けたと言われています。もちろん、現実には誰かの手引きがあってのことでしょうが、逃亡に成功します。逃げただけでなく、なぜか彼は軍を組織することができました。しかも、多くの支持者を得ることができたのです。

 三年に渡る内戦の最後、チンボラソ山の麓で、両軍は最終決戦に臨みました。結果は、アタワルパの勝利でした。
 ワスカルは捕虜となり、アタワルパはワマチューコの街で、サパ・インカとなったことを宣言しました。
 実質的な勝利者は、イニャカ・パナカでした。そして、ワスカルに手を貸したとみられるカパック・アイユ側の人々は殺され、その街は徹底的に破壊されました。

 勝利したアタワルパですが……
 もし、スペイン人が攻めてこなければ、インカを治める力強い王者になれたでしょうか?
 インカ帝国に明るい未来はあったのでしょうか?
 もし彼がサパ・インカの力を取り戻そうとしたのなら、またもや同じような内戦が起きたはずです。或いは、暗殺されたかもしれません。その意味では、インカは行き詰まった社会と成り果てていたのではないでしょうか。

 いずれにせよ、歴史の「もし」を確かめる方法はありません。
 なぜなら、そこにスペイン人がやってきたからです。

征服者ピサロ

 フランシスコ・ピサロ
 ペルーの歴史でもっとも有名な男です。コンキスタドールといえば、まず彼の名を思い浮かべる人が多いことでしょう。

フランシスコ・ピサロ

 もともとは傭兵で、身分も低く、学もない人物だったようです。ですが利に聡く、野心も度胸もあったようです。パナマ地峡を渡り、ヨーロッパ人として西側から初めて太平洋を望見したバルボアの部下でもありました。
 彼は南方に黄金の王国があると信じ、二度にわたって遠征を行いました。それらは失敗に終わったのですが、王国の存在については、ますます確信を深めていきました。そしてついに、スペイン王室に許可をとりつけて、傭兵達を掻き集めて、三度目の遠征に出発します。

 ピサロのほうでは、黄金と王国の存在を漠然と認識していただけのようですが、一方のインカ側、アタワルパはというと、早い段階でかなり正確な情報を掴んでいたようです。

銃と馬を携えたヨーロッパ人

「彼ら海の子は肌がとても白く、長い髭を生やしている。彼らは大きなリャマ(馬)に乗って移動する。そのリャマは銀の靴(蹄鉄)を履いており、走ると雷のような音がする」
「彼らは一息で火を吹く(銃器)。雷鳴のような音がすると、遠くからでも人々が殺されてしまう」
「金銀に対して異常なほど執着しているので、彼らはそれを食べるのではないかと思う」

 誰も見たことがない存在です。
 アタワルパはよりよく理解しようと、偵察を命じました。そして、答えはすぐ出ました。

「彼らはビラコチャでもなんでもない。彼らは食事を摂り、水を飲み、服を着て、女とも寝る。奇跡を起こすでもなく、悪いことばかりしている」

 人間が相手なら、慣れ親しんだ方法で臨むだけでした。
 インカが常にしてきたように、南米最大の軍事力を背景にして、不平等条約を結ぶのです。具体的には、黄金のコップを贈ったのです。受け取るならば、それは臣従を意味するはずでした。

カハマルカの街

 1532年11月16日、カハマルカにて。
 ピサロは168人の兵を連れて、八万もの軍勢を背後に控えさせたアタワルパと会見することになりました。

カハマルカの戦い

 数万の軍勢を前に、彼は恐怖を感じなかったのでしょうか。いくら銃器や馬があるとはいえ、勝利を確信できたのでしょうか。
 しかし、とにかく彼は、手順通りにことを進めました。まず、神父のバルベルデに型通りの宣言をさせるのです。

「唯一の神が天地を創造し、人類を生み出した」
「我々は罪を犯したが、キリストがそこから救ってくれた」
「現在、キリストの代理人を務めるのはローマ教皇である。スペインの王は、教皇から、お前の国の征服とキリスト教の布教を任された」
「お前とお前の国民がキリスト教を受け入れ、スペイン王の支配下に入るならよし、さもなければお前達に厳しい戦いを仕掛けることになる」

 これが通じたということは、既にスペイン語の通訳ができる現地人がいたのです。
 実際、インカの支配下にあったカニャリ族ワンカ族は、早い段階でピサロへの協力を決めていました。

 とはいえ、一通りの説明を聞いたアタワルパにとっては、まったく理解不能でした。
 キリスト教など知ったことではないし、厳しい戦いも何も、人数がまるで違うのです。だから、その返答には一切の譲歩がみられませんでした。

「お前の言っていることはサッパリわけがわからない。この国の領土は私の父や祖父が戦って得たものだ。なぜローマ教皇とかいう奴が、勝手に分け与えることができるのか」
「お前達のいう神とかキリストが世界を創ったというが、そんなことができるのは太陽の神だけだ。お前の言うことが正しいという根拠はなんだ」

 なんとも理性的な回答です。根拠はなんだ、と尋ねているのです。無条件に自分の信仰だけを正しいとするのではなく、ちゃんと意味や理由を確認しようとしています。
 しかし、それが通じる相手ではありませんでした。

「これが神の言葉だ」

聖書……しかし、インカには文字が存在しなかった

 そして聖書が差し出されたのです。
 しかし、インカには文字がありません。文字がないということは、文字という概念も理解できないということです。

「神の言葉だと? これはなぜ喋らない!」

 アタワルパが聖書を投げ捨てる瞬間を、ピサロは待ち構えていました。

「サンチアゴ!」

 スペイン風の鬨の声です。
 聖ヤコブの足の骨が見つかったことが、レコンキスタの根拠でした。だから、スペイン人の十字軍としての意識からすれば、これが戦いの合図になるのでした。
 見慣れない馬、聞き慣れない銃声、そして鋭い鋼鉄の剣が、あっという間にアタワルパを捕虜にしてしまったのです。

インカ帝国の滅亡

 しかし、ピサロは豪胆な一方で、冷静な男でもあったようです。
 千六百万人の人口を擁した帝国は消え去ったわけでもなく、各地に駐留する数万のインカ軍も健在で、自分達が大海の中の小さな小船の上にいるようなものだということは、よく理解していたのです。

 アタワルパもまた、冷静でした。
 捕虜になったからといって、自暴自棄になったりもしませんでした。そもそも一度はワスカルに敗れ、捕虜となった経験もあったのです。覚悟なら既にあったことでしょう。
 そして彼は、ピサロに交渉を持ちかけます。

「私を釈放してくれたら、この部屋いっぱいの黄金と、その二倍の銀を、お前に与えよう」

 それをピサロは受け入れました。この時点では、もしかすると約束を守る気もあったのかもしれません。しかし、その約束が言葉通りに実現するのを目の当たりにすると、むしろ決心は揺らいでいきました。
 サパ・インカの権威は絶大でした。太陽の子である彼は、地面との接触を避けていました。必ずお供が彼を輿に乗せ、直接足が土につかないように配慮していたのです。アタワルパの体毛が落ちると、それはゴミ箱に捨てられたりなどしません。近くにいた乙女が飲み込んでしまうのです。また、彼が食べ残した料理は、ただの生ゴミにはなりません。彼が触れたものも、ゴミとなればすべて焼き尽くされます。そして各地の将軍は、荷物を背負って、まるで奴隷にでもなったかのように膝をついて彼を拝むのです。

「それにアタワルパは意外と賢い。この男を生かしておいては、いつか必ず反乱が起きる」

 それでピサロは、アタワルパを火炙りにすると決めてしまいます。罪状は、聖書への冒涜と、実の兄ワスカルの殺害でした。しかし、少なくとも後者については、アタワルパがそれを命じたとする証拠は残っていません。
 死を覚悟していたであろうアタワルパではありますが、この判決だけは恐れました。焼かれてしまっては、ミイラになれません。ミイラになれないと、供物を受けられず、本当に永遠の死が訪れることになります。

 そこから逃れるために、彼はバルベルデの提案を受け入れました。フランシスコ・アタワルパとして、洗礼を受けてから絞首刑に処されたのです。
 それにしても、インカ本来の信仰を守るために、他の宗教の儀式を受け入れるとは、まるで冗談みたいですが。

 この事件は、インディヘナの人々にある理解を与えました。
 スペイン人は約束を守らない。黄金を渡しても、裏切る……だから彼らは、黄金を隠すようになりました。
 ピサロは、馬が黄金を食べてしまうからもっと持ってきてくれ、と言ったそうですが……

 さて、アタワルパを処刑したのはいいですが、ピサロからすれば、相変わらず自分達が絶対的な少数派であることは変わりません。そこで彼は、名目上の皇帝をたてることにしました。そこで白羽の矢が立ったのが、マンコ・インカ・ユパンキでした。
 既存のインカ帝国のシステムを流用して、このままこの地を支配すればいい……けれども、その目論見は、脆くも潰えることになるのです。

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