先住ハワイ人の社会

ハワイ
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ハワイ人社会の発展と変容

 9世紀から14世紀まで、ハワイは外界との交流を保っていました。ポリネシアの一大交易圏の北端を担う場所だったのです。しかし、次第に島々の交流はなくなり、航海技術を保持しつつも、ハワイ諸島は独自の歴史を歩むことになります。
 その多くは口承でしか伝わっていません。またその正確性にも、考古学的見地からは疑問符がつけられています。発掘調査によって、おぼろげながら、ハワイの先史時代が明らかになりつつあります。

 ハワイ発見からの数世紀は、発展の時期でした。オアフ島、カウアイ島、モロカイ島では、タロイモの水田が数多く作られました。
 それが14世紀以降、ハワイの人口増加は緩やかになり、居住域は乾燥した地域にも広がりました。ハワイ島とマウイ島では、乾燥地にも農耕地が拡張されています。大規模なヘイアウ(聖所)なども建造されており、この時期にハワイは権力機構をもった王国へと変貌したと推測されています。
 それが17世紀に至ると、その時点のハワイの技術では、人が居住可能な領域は開発されつくして、人口増大は止まります。そして、島嶼間の戦争が活発に繰り広げられる状況になりました。

ヘイアウ(聖所)の遺跡

 こうした時代の遺物に海外のものが混じっていた形跡はみられません。特に土器は、ヨーロッパ人来訪後の物以外はまったくありません。ハワイ人が孤立した状況で社会を構築してきた証拠です。
 出土する品々の多くは骨製です。また、骨製の釣り針を加工するのに使った石製のヤスリも数多く見つかっています。

 ヘイアウ、住居、ムア(食事小屋)、作業小屋、そしてカヌー小屋。これらはバラバラに存在するのではなく、まとまったクラナ・カウハレ(世帯)の形を取り、それが細長い土地の区分、アフプアアの単位を形成しているのが明らかになっています。

アフプアアとは

 アフプアアとは何でしょうか。これは、現代のハワイにおいても、ある意味、馴染み深いものです。カイルアとかラハイナという地名は、ハワイに詳しい人ならピンとくるでしょう。これは、かつてのアフプアアの名前が行政区画の名称としても流用されているのです。
 アフとは祭壇プアアとはブタのことを意味します。

 アフプアアには、百人から二百人の人々が居住していました。その区画はたいてい細長く、川沿いに並んで切り分けられていました。タロイモの生育に適する低地はマラ(農地)や住居として、木々の生い茂る山岳地帯は木材などの資源採集拠点として、住民に利用されていました。また、アフプアアの位置するところによっては、工具の材料となる良質な石材がとれたり、果物を得ることができる場所もありました。

 川沿いのタロイモ畑から山地の木材まで、一通り生活に必要な資源が揃うように、区画整理がなされていたのです。これは自給自足の単位でした。

アフプアアの区画割りの例

 アフプアアより細かい単位となると、家族ごとの領域であるイリ、そして個々人のレベルで分けられたモオという基準があります。
 逆にアフプアアより大まかなものとしては、アリイ(貴族)の支配地の単位であったモクアイナ、島全体を示す単位にはモクプニがありました。

 これらを支配していたのはアリイ・アイモク(首長)でしたが、その具体的な統治は下位のアリイ達に委ねていました。

ハワイ人の身分制度

 ここで身分の話になりますが……
 ハワイの身分制度は、大まかにいって四つの段階に区切られていました。

 最上位がアリイです。その中でも、王族層と家来層の区別がありました。また、その中でも身分は細分化されていました。また、身分の高さに男女差はなく、父母どちらからでも地位を借りてくることができました。
 例えば、あのカメハメハ大王は、父が首長の弟だったため、王族ではあったものの、最上位の身分ではありませんでした。そこでマウイ島でもっとも高い血筋を保っていたケオプオラニと結婚して、自分の地位を高めています。
 アリイ・アイモクは、宗教的な力であるマナをもって君臨し、信仰や実際上の必要に応じて、カプーという罰則を運用しました。これを指定したり解除したりできるのは、アリイ・アリモクだけでした。

ハワイを統一したカメハメハ大王

 その次にくるのが、祭司・職人階級にあたるカフナでした。
 たとえばカフナ・ヌイは高位の祭司であり、宗教儀式を取り仕切りつつ、ヘイアウを管理し、アリイ・アイモクに対して信仰上の助言をする立場でした。
 また、カフナの中にはカヌー職人や海上ナビゲーター、それに医師なども含まれていました。現代人からすると、これらは純粋に技術的な職業に思われるのですが、そこにはまじないの要素が混じっていました。彼らの仕事には、祈りが含まれていたからです。
 そのせいで、19世紀のキリスト教の布教活動に伴い、カフナの仕事は禁止の対象となりました。カラカウア王の時代には再興の努力もなされたのですが、結局20世紀後半にハワイ州議会が禁止を解除するまで、カフナの伝統は抑圧され続けることになったのです。

 三番目にくるのが庶民、マカアイナナでした。
 アフプアアに依って暮らすのが、この集団で、ハワイ人の大半を占めました。土地の所有権もなく、政治的な発言権もなかったようです。

 一番下の身分がカウアで、これは戦争の捕虜などが該当します。いわゆる奴隷ですが、数は多くありませんでした。

 ヨーロッパ人がやってくる以前、ハワイの人々は、このような社会を形成していたのです。

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