「花輪」ではなく「レイ」
ハワイといえば、なんといってもその色彩です。
健康的な褐色肌のエキゾチックな女の子が、目に眩しい原色の衣装を身につけてフラダンス。そして最後に、ブーゲンビリアの咲き誇る砂浜で、首に花輪をかけてくれる……
この花輪、ただの飾りだと思っていませんか?
実は、ちゃんと名前も意味もあるのです。
これは、正しくは「レイ」といいます。
レイには、ハワイ人特有のアロハ精神が込められています。
ハワイの人々は挨拶にも「アロハ」という言葉を選びました。そこには、贈る人の寛容、親切、互恵、同情といった感情が宿っているのです。
本来は、宗教的な意味合いのあるもので、悪霊を祓い、神に近付くためのものでした。今でも冠婚葬祭や誕生日のお祝い、その他の式典など、さまざまな場面でレイを贈ります。
レイの材料もいろいろなものがあり、生花から木の実、葉っぱや蔦、貝殻や羽毛などから作られました。特に鳥の羽毛でできたものは、アリイだけが着用を許された尊いもので、値段もつけられません。
他にもいろいろな意味がありました。ククイの実から作られたレイは、知識や先導者を意味するので、リーダーが身につけることが多いです。マイレやティの葉を編みこんだ紐状のレイは、邪気を祓い、霊的な力を引き出し、神に近付くために用いられます。これは僧侶やフラの踊り手が着用しました。

ピカケ・レイはジャスミンを材料にしたものです。ピカケは孔雀を意味します。開ききっていない花を繋いで作るもので、結婚式の際に花嫁が身につけることが多いものです。余談ながら、最後の王女カイウラニは、孔雀もジャスミンも愛していたと伝えられています。
なお、観光客の首にかけるようなレイについては洋ランを材料にしていますが、ハワイだけでは供給が追いつかないらしく、毎日のようにタイから空輸しているらしいです。
誰もが知ってるアロハシャツ
レイが先住ハワイ人の固有文化であるとすれば、いまやハワイの正装となったアロハシャツは、多文化混淆の結果です。

アロハシャツの原型は、二十世紀初頭にプランテーションで働いていた日系人や中国人、フィリピンなどからの移民労働者が着ていたバラカシャツらしいです。日系人は日本から持ち込んだ古い衣服をバラカシャツに仕立て直してもらいました。
これをみて、チャンスを思ったのが中国系商人のエレリー・チャンで、1930年代に「アロハシャツ」という名前で商標登録しました。
とにかく、各地の古着を仕立て直したのが当初のアロハシャツなので、そこには和風、中国風、ポリネシア風とさまざまなデザインが混在していました。
太平洋戦争が終わると、帰国した兵士達がハワイからアロハシャツを持ち帰りました。当時のハワイは軍の需要を満たす慰安施設と化していたのですから、これも必然です。
こうしてアロハシャツがメジャーな存在になってきたところで、ハワイは大衆向け観光地として変貌していきます。やがて人気俳優がアロハシャツを着て映画に出演するようになり、気がつけばアロハシャツはハワイを代表するファッションになっていました。
ハワイの側でも、それをどんどん推し進めていきます。
ビジネスの場でもアロハシャツの着用が奨励されたため、官公庁でも大学でも、果ては冠婚葬祭に至るまで、どこでも着られるフォーマルウェアになってしまったのです。
地元の人は、どちらかというと地味なデザインを好むようです。ハワイの草花やポリネシアの伝統的な織物であるタパの柄の裏の部分を表にした、リバースデザインのものをよく着ます。自分達が長年、ハワイに暮らしてきたカマアイナ(地元の人)であることを表現しているのです。
ハワイの女性用の服は
アロハシャツに比べるとややマイナーなのがムームーです。
こちらは女性の服ですが、これにレイなどを組み合わせて、パーティーなどで着用します。
こちらの起源は、宣教師の活動に遡ります。
当時のハワイ人は、樹皮から得られた繊維を叩いてなめしたタパを腰に巻いていました。ですが、これでは裸も同然、キリスト教的な性道徳をぜひともハワイ人に身につけさせたい宣教師達は、衣服で体を覆うようにしました。
といっても欧米風の服は気候に合っていません。それで襟や袖のないウエスト部分もゆったりとした竹の長い衣服を考案しました。ムームーの語源は、まさにその襟や袖を「短く切り落とす」というハワイ語が元になっています。
また、女性用の衣服としては、ホロクというものが存在します。
アリイ(貴族)の女性が欧米のガウンを真似て作らせたもので、裾の長いスカートに襟、長袖、胸元のヨーク、そしてウエストラインまでつけられました。イギリスのエドワード朝時代の服飾をなぞったものですが、今ではすっかり廃れてしまい、ほぼ忘れられかけています。