ウズベキスタンの素顔
どういう言葉を使えばいいのか、迷いました。まさに光と闇です。
ホテルや食事、観光地やお土産の情報だけ列挙するのは簡単ですし、読む側としてもわかりやすいでしょう。ですが、旅行には必ず、それ以外の要素もくっついてきます。それが土地に根付いた雰囲気、その国ならではの事情というものです。
ここではウズベキスタンの国情、特に社会の仕組みについてのお話を中心にしていこうと思います。
光……富み栄える側
ウズベキスタンは旧ソ連の一部をなしていた地域で、二十世紀の終わりに独立しました。しかし、その内実はというと、ソ連時代と大差ないといえます。そもそも、初代大統領のカリモフからして、共産党員出身です。支配者層の入れ替わりはなかったのです。
ついでに言うと、カリモフの娘達も「実業家」として富と権力を握っています。まあ、上の娘は父と対立して、汚職を理由に始末されましたが。KGB出身のガニエフも、閣僚でしたし。
ただ、カリモフはそれなりに優秀だったと言えなくもありません。理想に走るのではなく、国の引き締めを図って、秩序の喪失を防いだという点では評価できます。彼は、自分が統治する地域がいかに不安定で、どれほどの危険にさらされているかを、よく理解していたのです。
必然、ウズベキスタンは、よくある独裁的な途上国になりました。その辺、中央アジアの他の国々も、だいたい似たようなものです。

首都タシケント、それからカリモフの出身地であるサマルカンドを見てください。ハッキリ言って、東京より美しいです。それはもう、不自然なほどに。
咲き乱れる花々。潤い豊かな噴水。公園の一角では、美しい絵画の数々が並べられ、その場で販売されていたりします。

独裁国家の首都というのは、富の集積地です。北朝鮮の平壌がいい例ですが、アフリカなどでも事情は同じです。こういう首都は、とにかく美しく飾り立てられますし、住民も「エリート市民」だったりします。
私が博物館巡りをしていた時には、現地の女子中学生に話しかけられたりもしました。英語を流暢に操り、好奇心旺盛で、その表情はキラキラしていました。
ウルゲンチからサマルカンドに向かう列車に乗ろうとしていた時に助けてくれたのも、自信ありげなアンワルという男性で、政府関係者でした。その列車の中で、私は十七歳の少年と話しましたが、彼は明らかに富裕層でした。
「俺の名前はアミールだ」
「ジェラール・ウッディーンを知っているか。俺はああいう男になる」
ちょっと説明すると「アミール」というのは「王」という意味です。随分とご大層な名前です。
ジェラール・ウッディーンとは、チンギス・ハンの侵攻に立ち向かったホラズムの王子の名前です。日本で言えば、そうですね、時代的なイメージでいうと、源義経みたいなものでしょうか。彼は私が知らないと思って、わざわざ “Islamic hero” と説明してくれましたが。
彼は手持ちのスマホで、親族の写真も見せてくれました。これは自分の従兄弟で、アラブ首長国連邦にいる……みたいな具合です。海外で活躍している親族がいて、しかもその若さでスマホを所持しているという時点で、お金持ち確定です。
態度からして、ずっと年上の私と話しているのに、遠慮も何もありませんでした。他人が俺に従うのが当然だ、という空気が滲み出ていたのです。
闇……貧しく服従を強いられる人々
ここまでは、この国を牛耳る権力者側の世界のお話です。
では、こちらの写真をどうぞ。

ブハラの市内です。
まるでインドの市街地を思わせるみすぼらしさです。写真にはないのですが、駅を出たところには女の物乞いもいました。街中には自宅をペンションにしている客引きがウヨウヨしていました。
ですが、ブハラはまだマシです。なぜなら観光地だから、産業があるからです。それでも、ヒヴァの人達みたいに陽気ではなかったし、街並みもサマルカンドやタシケントほどきれいではありませんでしたが。

出国直前のことです。ナヴォイ劇場の前で「ミスター・エンターテイメント」を名乗る男と遭遇しました。
私がウズベキスタンを訪れたのはゴールデンウィーク中のことですが、この時期に日本人観光客が来ることを知っているのでしょう。そして彼の仕事は、そういう男性の観光客相手に「売春婦」を買わせることでした。

「カワイイ娘いるね」
なんと日本語です。
「あー、悪いけど、僕は今日、帰国する予定なんで、空港に間に合わなくなっちゃうんで」
「じゃあ、空港まで送るのつけるね。100ドルで」
私は反射的に口走っていました。
「Juda qimmat!(クソ高ぇ!)」
よく使うウズベク語ベスト3に入る言い回しですね、はい。
「女なんか、せいぜい20ドルだろ! 相場を知らないとでも思ってるのか!」
「あなた、ジャイカの人?」
若干引き気味で、彼はそう尋ねてきましたが……
あちらでビジネスをしている人から事前に聞いていたので、知識はあったのです。20ドルもあれば街娼を買えてしまうし、それどころか田舎では、もっと貧しい女性が大勢います。メシをおごるだけでいけた、という話さえあるほどです。
あ、私は実際には女を買ってない(ここ大事)ので、本当の価格はわかりませんけれども。
「ウズベク」が「ティムール」を崇拝する矛盾
ですが、この格差が、イスラム過激派にとっての養分になっていることは、疑いないでしょう。
しかも、それだけではありません。
ウズベキスタンは、多民族国家でもあります。
サマルカンドの白タク運転手は、自慢げに言いました。
「ここは俺達タジク人の街なんだ」
実際、タジク系の人が多いのは事実なのですが……
これを後で、ブハラの日本センターで口にしてしまったから大変です。日本語が達者な当局の人間が、怖い顔で食ってかかってきました。
「ここにはウズベク人しかいません! みんなウズベク人です!」
こうやって締め付けないと、国を維持できない。これがウズベキスタンの現実でもあるのです。
実際、ウズベキスタンの学校では、タジク語の教育は禁止されています。ここにいるのはみんなウズベク人で、ジェラール・ウッディーンもティムールも、みんなウズベキスタンの英雄なのだと。ティムールの末裔をインドに追いやったのがウズベクなのですが、その辺は無視。歴史を現実が受け入れるのではなく、歴史認識に現実を無理やり当てはめようとしているのです。
それでも治安はいいのです。ただそれは、力の支配です。地下鉄の出入り口に張っている兵士達の姿。飾りでもなんでもなく、あれがなければ、この国の平和は、すぐにでも崩壊してしまうものなのです。