ウズベク人と友達になれるのか?

ウズベキスタン
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ウズベク人とお友達になれますか

 Q.ウズベク人とお友達になれますか?
 A.かなり難しいでしょう。

 出オチですが、いきなり結論です。
 ウズベク人と親密な関係性を築いていくのは、外国人にはかなりの難事です。

 表向き、彼らはとてもフレンドリーです。日本人の「おもてなし」の心を理解しているかの如くです。家に上がり込めば茶菓子やビールを供してくれますし、こちらの稚拙なウズベク語と英語のチャンポンにも辛抱強く付き合ってくれます。メフモン、即ち客人を歓迎する文化があるからですが。
 ですが、本音のところでは「まったく信用できない」と考えたほうがいいです。これは、旧ソ連圏に共通するメンタリティです。

例えばこんな騙し方

 具体例を話したほうがスッキリするでしょう。
 私がサマルカンドに降り立って、朝からグリ・アミール廟を見物していると、横合いから白髪の老人が出てきて、タクシーに乗らないかと言ってきました。

ティムール帝国の王族が眠るグリ・アミール廟

「ああ、今日はいらない。市内を見るだけだ。スザニを見たいが、ウルグットの市が明日(毎週水曜日)あるから、その時、声をかけてくれ」

 そう言い返したら、

「ウルグットの市場は、火曜日にも一応あいている。それに俺の妻のナシバがスザニの職人だ。一緒に市場に行こう」

 本当だろうか? と思ったものの、旅はトラブルを楽しむもの。殺されなければ何でもいいと腹をくくり、ついていきました。

 彼……バハティールは、妻のほか、たまたまその場にいた彼の次女にも声をかけました。タジク語で話したのか、まったく聞き取れなかったのですが、予定を潰されたその娘、マヒバは最初、不機嫌そうな顔をしていました。
 今、思い返すと、私のためであればマヒバを連れて行く必要はなかった気がします。なぜなら、私が見たいといったのは日本で売れる可能性のあるスザニであって、その他の何かは不要だったからです。それに、バハティールは観光客の相手に慣れていて、不完全な英語しか話せないながらも、さほど不自由はなかっただろうからです。
 けれども、当時の私は納得してしまいました。なぜならマヒバは、大学生だったからです。大学で歴史を勉強して、ガイドになるつもりだと言っていました。それであれば、父母より英語での意思疎通ができるので、私から金を引っ張るという仕事に駆り出されるのも無理はないな、と。

 バハティールは、とりあえずは嘘をついたのではありませんでした。ほどなくウルグットの市場に到着すると、その一角に案内されました。
 そこには数々のスザニがありました。ですが、私がそれらを見ていた時間は、正味三十分もなかった気がします。バハティールかナシバが切り上げさせたのでしょう。

ウルグットのバザールを見物

 それから「飯を食おう」と言われました。
 付き合うのが礼儀とばかり、大量の豆の入った料理を食べました。昼食には少し早い時間です。既にこの時点で満腹でした。

「せっかくだから、近郊のモスクを見ないか」

山を越えればタジキスタン、ここのモスクは豊かな水源地でもあった

 それでサマルカンドを取り囲む山岳地帯の一角に登り、そこの寺院におまいりしてきました。
 そういう観光もほどほどに、結局はグリ・アミール廟にほど近い、彼らの自宅に引き返しました。そこでナシバは、次から次へと自分のスザニを見せ付けてきました。買ってもらいたいのでしょう。というより、これが彼らの目的だろうから、仕方ないところもあると考えました。なに構わない、これはこれで面白い、どうとでもなれ、と開き直った私は、二点ほど購入しました。

 なお、トップに表示している画像は、この時、マヒバが着て見せてくれた「ウズベクの婚礼衣装」です。

開き直って騙されるのを楽しむ!

 まだ昼過ぎだったのですが、この時点で彼らは更に尋ねてきました。

「まだ時間はあるか?」

 父のバハティールは仕事のためにいなくなりましたが、まだナシバとマヒバがいます。そしてなんと、ちょうど今日がマヒバの19歳の誕生日というではありませんか!
 いいとも、飯くらいおごりますよ、というわけで、彼らにとっては少しお高いお店により、お食事です。

「日本から来た間抜けな男が引っかかったわ……」

 けれども、これで疑いを抱かなかったらウソです。たまたま誕生日なんて、そんな話、そうそうありますか?

 こりゃー、タカりにきてるかな……と思いつつ、私は状況を楽しんでいました。この後、更に買い物に付き合い、服が欲しいというので、買ってやりました。せいぜい四千円くらいの出費だったので「どうなるか見てやれ」というつもりで、です。
 バスの中では、私に同行していたマヒバについて、周囲のオバさん達がなんと言っていたか、ナシバが説明しました。つまり……お付き合いでもしているのか? と言われたのだとか。本当かどうかはわかりませんが。
 夕方、彼らの家に招かれた時には、ナシバが私に向かって

 “You are my son.”

 などという始末。
 いくらなんでも、トントン拍子に過ぎます。そんなウマい話があるものか?

 アジアの国々で女の子を引っかけたら、親族もろもろがそのままドッサリついてきます。そもそも知り合いの商社の人も「ウズベクで女を捜すならロシア系にしろ」と言っていました。あれこれ背負い込まされて面倒なことになるからです。
 しかし、それはそれとしても、彼らが「たまたま出会った日本からの金持ち旅行者」と本気で縁を結びたがっているのか? カネのためとはいえ、どうも胡散臭い。

 ウズベクではこの手のパターンは画一的で「ウチでシャシリクを食べないか」と言ってきます。ナシバもそうでした。
 夜遅くに戻ったバハティールとビールを飲みながら、シャシリクを食べました。ただ既にこの時点で、私は限界を超えて満腹になっていたので、ほとんど何も食べていませんでしたが。結局、このせいで翌日、体調を崩してしまうのです。

 それでも、私は一線を引いていました。
 ビールは飲むが、どんなに勧められてもウォッカは飲まない。正体なく酔っ払ったら、どうなるかわからないからです。
 それと、限度を越えた出費もしない。どんなに欲しがる仕草を見せても、私はiPhoneを買い与えたりはしませんでした。既に疑っていた、というか気付いていたというべきでしょう。彼らは、行きずりの観光客から取れるだけ取るために、お芝居を見せているのではないか、と。

 だから、私は忠告するように、マヒバに言いました。

「あなたが私とどういう付き合いをするかは、あなたが決めることができる。いいですね?」

 さて、帰国後、FACEBOOK経由で連絡したら、早速コレです。

 ”Pul kerak!”

 お金が必要なの! という意味です。
 ろくに事情を説明するでもなく、こちらに何らかの対価や約束を示すでもなく、カネくれ、と。

 ほぅらみろ。
 というわけで、私はスッパリ返事をやめました。しかし、いかにも芸のないねだり方ではないですか。これでは騙される甲斐もありません。

 すると案の定……
 本当の誕生日は6月1日で、かつ「マイダーリン」がちゃんといるのがまもなく判明しました。

色仕掛けはやり過ごすべし

 実のところ、他のあらゆる地域でも、ウズベク人はみんなこれと同じ振る舞いをしてきます。まぁ、マヒバ達はタジク系でしたが……
 ヒヴァでは、ロシアに出稼ぎ中の夫のいる31歳のギュロイが、私の横に座って太腿を押し付けながら「ウチでシャシリクでも」と言ってきました。あからさまな色仕掛けですが、さすがにそれはマズいだろうと一線を引いていたら、諦めて去っていきました。ブハラでもそういう人はいました。
 彼女らは、女であることが武器になることも承知しています。あちらは結婚が早く、二十歳前に済ませてしまうことも多いのですが、二十代半ばになっても「私は未婚」と言ったりします。つまり、夫はロシアにいるのです。

 どこまでいっても、外国人はただの金蔓なのです。
 何を当たり前のことを……と言われそうですが、そうでもない国もあります。メキシコなんかだと、損得抜きに話し相手になってくれたりもするのが珍しくないですから、やはり国民性というしかありません。
 また、たとえ金蔓だとしても、タイとかフィリピンだと、本当に結婚までいっちゃったりします。それがウズベクにはありません。騙す以外のオプションが、ほぼないのです。

 しかもこれは、貧しい一般人だけの話ではありません。
 なんと、日本に渡航できるだけの経済力のあるウズベク人でも、基本的な態度は変わりません。日本にいる間こそフレンドリーですが、帰国するとメールの返事もくれなくなります
 実際に、そういう人が「複数」いました。そのうちの一人なんか、もう、交換したLINEのアカウントを消してましたね。
 もちろんそこには、外国との付き合いを制限する政府の方針もあるのですが……なんとも薄ら寒い気持ちにさせられます。

 ネットで検索すると「ロシア美女との国際結婚」なんてサイトが見つかりますね。旧ソ連圏の国々の女性の写真付きプロフィールが並べられて、さぁ、あなたも……というわけなのですが、これも疑ってかかる必要があります。
 既婚者が未婚と偽って日本に渡航し、2,3年結婚生活らしきものをしてから、もてるだけの金をもって逃げてしまうという例が少なからずあるといいますから。

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