テロ、戦争、暴動……
遭遇する可能性は低いながら、最悪の場合には命にかかわるほどの危険があります。それが政治的リスクです。
平和ボケした日本にいるとうっかり忘れがちですが、政治は命に直結しています。人権とは所与の物ではなく、それを得るために多くの血が流されてきたのです。常に社会は不平等で、必ず政権は腐敗し、いつも犠牲を出しながらそれを正さなければなりませんでした。

国際ニュースに目を光らせていると、その辺に敏感になれます。どの国にも、クリティカルな民族問題、国境問題があり、常に流血の危険を秘めているのです。
日本だって例外ではありません。ロシアとは北方領土で対立しています。とある議員さんが「戦争しか」なんて軽々しく発言して問題になりましたが、実際、話し合いでいくばくかの返還がかなえられる可能性は極めて低いとみるべきでしょう。
また、韓国とは、竹島(独島)の帰属問題があります。また、歴史問題でも対立しています。中国も同様で、こちらは尖閣諸島に侵犯行為を繰り返していました。北朝鮮に至っては、日本領内から一般市民を拉致していますし、たびたびミサイルの発射実験を繰り返しています。
同盟国であるはずのアメリカとさえ、この手の問題があります。米軍基地のほとんどが沖縄に集中し、負担の不公平感から、本土と沖縄の対立構造のようなものまで見えてきたりもします。
この辺について、恐ろしいヘイトスピーチをナチュラルにする人達がよくいるのですが、私が「じゃあ、戦争するの?」と詰め寄ると「現代では許されていない」とかトンチンカンな回答をするのです。寝ボケていますね。
でも、こんなものは、一度火がつけばすぐ戦争です。そうなったら自衛隊員も市民も関係なく死にますし、殺します。あなたの夫や息子が人を殺し殺され、あなたの妻や娘が敵国の兵士に強姦されるんですよ、それが日常になるんですよ……ということがわかってない人が多すぎます。
ユーゴスラヴィアの解体に伴って殺しあった人達は、少し前まで「お隣さん」同士で仲良く暮らしていたのですよ。それが簡単にああやって殺しあうようになったのです。そして、一度やったらもう、その怨恨は何十年経っても消えないのです。

そして、日本についていえば、この手の紛争は「小さく」て「根が浅い」部類なのです。
他の国についていえば、そういった対立はもっと深刻です。日本ほど裕福ではないし、流れた血の量もずっと多いからです。
ざっと思い浮かべるだけでも、こんなのはいくらでも出てきます。
アルメニアとアゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ戦争。ユーゴスラヴィア解体時でのセルビア人とクロアチア人の対立と民族浄化。ルワンダのツチ・フツ両民族間の憎悪と虐殺、集団レイプ。ソマリアの氏族同士の内紛。
これ、全部1990年代の争いです。しかも、これで全部ではありません。で、2020年からカウントしても、三十年経ってません。凄惨な殺し合いを目の当たりにしてきた当事者達が、まだ存命中なのです。
先進国だって例外ではありません。イギリスは北アイルランド問題で、1998年にやっとベルファスト合意に漕ぎつけました。
そういえば天安門広場の虐殺も、1989年でしたっけ。本当についちょっと前のことです。

今だって、現在進行形であちこちにテロ集団がいます。ボコ・ハラムは少女二百人を誘拐して国際社会を揺るがしましたが、その前にもっと多くの少年をただ虐殺しています(少女と違って男児には人質としての価値がないため)。イラクもアメリカ軍に踏み潰されましたし、リビアも政権が転覆しました。アラブの春とかいって、エジプトでも政権がひっくり返りましたが、その時、現場にいたアメリカ人女性ジャーナリストは、興奮した群衆にもみくちゃにされ、殴打の末に性的暴行まで受けました。
世界は平和ではないのです。
平和のすぐ横で流血は起き得る
タイといえば、日本人に人気の旅行先です。

タイ人は人懐っこく、キーワードはといえば「サバーイ、サヌック、マイペンライ」つまり「気持ちいい、楽しい、気にしない」です。
ワット・ポーをはじめとした仏教建造物を見物するのもいいですし、チェンマイやチェンライに出かけてアカ族やカレン族、リス族など少数民族の村を訪ねてトレッキングするもよし、ついでにエレファント・ライディングを楽しむもよし。
また南に目を向ければ、プーケットから行けるピピ島からシミラン諸島まで、美しい島々がいくらでもありますし、そこまで遠出する気がなくても、ホアヒンやサムイ島、あとはローカル色が強くなりますがサメット島で遊んでもいいです。
ついでにいうと、ナイトライフも充実しています。つまり、夜遊びですが、バンコクは世界三大性都のうちの一つに数えられています。
食べ物はおいしく、治安もそこそこよくて、都市部は不便を感じないほど発展しているし、チェンマイなどの地方都市にも普通にセブンイレブンがあります。
何から何まで、遊ぶのに不自由する国ではなく、よって世界中から観光客が詰め掛けています……が、そんなタイですら、安全ではないのです。
何年か前、月間三百時間労働の激務を半年以上続けて、心身ともにボロボロになった私は、とにかく遊ぶ場所、休める場所を求めてタイに飛びました。その時、迂闊にも私は、いつもならするはずの情報収集を一切怠っていたのです。
バンコクに渡航し、ホテルで一泊して、翌朝、さぁ動き出そうとホテルから出たところで、私は呼び止められました。
「ヘイ、その服、脱げ」
「はい?」
「そのシャツを脱げ」
何言ってるんだ、こいつは?
よくよく話を聞いてみると、この「赤いシャツ」を着ているのがマズいということでした。はて、なんだったっけ?
それで着替えてタクシーを呼び止め、とりあえずは観光です。
そういえば、前回、ウィメンマーク宮殿を見られなかったんだよなぁ……よし、そこに行こう。運転手さん、ウィメンマークに……
「メダーイ!」
「はい?」
「メダーイ! バンバン!」
英語があまり得意ではないらしく、タイ語と身振りを添えて、運転しながら後ろを向いたり指差したり……なんか危なっかしい。でも、必死でした。
メダーイ、つまり、マイ・ダイ。「ダメだ」と言っているのです。
「オーケー、バット、ホワイ?」
「バンバン!」
その当時、タイは政情不安に見舞われていました。

2006年、タクシン首相はクーデターによってその地位を追われました。原因としては二つ。都市部の中間層、富裕層に対して厳しい政策を実行すると共に、地方の貧困層に対するバラ撒きを行ったこと。もう一つは、首相の地位と権限を利用したインサイダー取引という汚職行為があったことです。
これによって市民の怒りを招いた彼は、武力で排除されました。今も海外に逃れたまま、帰国する様子はありません。
しかし、タクシンを支持していた人々は、このクーデターを不正なものと看做し、赤いシャツを着て抗議の意志を表明しました。

一方、1990年代にはバランサーとして機能したプミポン国王でしたが、この時期には既に高齢のために健康状態も悪化し、事態を制御する能力がありませんでした。それどころか、国王に近い都市部のエリート層は、プミポン国王のイメージカラー(月曜日に生まれたことに由来)である黄色のシャツを着て、赤シャツに対抗するようになったのです。

私が訪れた時には、アピシット政権がタイを統治していました。つまり、黄シャツ側です。
これに不満を抱く赤シャツが、街中をバイクや車に乗って突っ走り、さながら暴走族のような雰囲気を漂わせていたのです。
ホテルの人が赤いシャツを脱げといったのは、そのシャツの色のせいで、観光客だと思われず、赤シャツの仲間だと判断されて危害を加えられる可能性があったからです。また、タクシーの運転手がウィメンマーク宮殿に行きたがらなかったのは、そこが赤シャツの集団のたまり場に近かったからです。
それがわかって「失敗したなぁ」と今更ながらに気付きました。
この後、現地で仲良くなったタイ人と話をした時「一緒に赤シャツの集会に行こう!」と言われましたが、断りました。
果たして、行かなくて正解でした。この時の衝突で、日本人ジャーナリストが巻き込まれて死亡しているのです。

しかし、そんな騒動の中、プーケットは平和でした。
ピピ島の海をシュノーケリングし、シミラン諸島の透き通った海を見て、屋台の料理に舌鼓を打って、のんびり過ごすことができました。折からソンクラン(春の水掛け祭り)が迫っていることもあって、あそこで展開されていた銃撃戦は、主に水鉄砲によるものでした。
平和な世界が戦乱に巻き込まれるのもすぐ。戦争の横で平和な暮らしをしているのもよくあることなのです。
最低限の情報収集を
最低限、渡航しようとしている国に、どんなリスクがあるかを知っておくべきです。
今はネットで情報を得ることもできます。ウィキペディアで確認すれば、過去、どことどんな紛争があったか、武装組織は存在するのか、いつどんなテロが起きたのか……そこまで難しくはないはずです。
外務省の作文は、精度は決して高くはありませんが、他に情報源が見つからない場合には、参照しておくべきです。
紛争の原因となる政治的リスクを確認したら、今度は具体的な手段がどれくらいあるかにも注意を向けましょう。
アメリカのように個人の銃器保有が認められている地域なのか、或いは法律上では許可されていなくても、過去の戦争などによって銃器が拡散している地域だったりはしないか。そういう点にも気を配るべきです。
特に政治的リスクはないように見えるアメリカ国内の旅行にしても、いきなり銃乱射事件が起きたりもします。結局のところ、社会から疎外された人が過激な犯行に走るわけなので、その要素がどの程度あるかを認識しておく、ということです。
そうまでして海外に行く意味はあるのか、と思うかもしれませんが、むしろこれこそ外国を知るということなのだと思います。