ペルー

あのインカ帝国の存在したペルーについての観光情報、その他歴史や豆知識、地域事情などを紹介します。

ペルー

インカの文化と社会

インカの技術や社会についての説明です。歴史は文字や肖像画を追うしかできませんが、こうした技術については、観光の際に目にすることもできるはずです。
ペルー

インカの終焉

三百年に渡る植民地支配は、独自の文化の混淆を惹き起こしました。ブルボン朝の過酷な搾取の中で、刑場で露と消えたトゥパク・アマルは、いつしか待ち望まれる、魔力を伴った「インカ」となりました。そしてついに、コンドルカンキがインカの名において武器を取ったのです。
ペルー

勝者なき争い

アタワルパを殺しただけでは、インカの征服は完了しませんでした。傀儡政権はあっさり反乱を起こし、征服者同士でも内乱が勃発。そしてスペイン王家は、征服者達を使うだけ使って、利益を横取りしていこうとします。結果は、勝者なき戦いでしかありませんでした。
ペルー

内戦と征服者の到来

インカに未来はあったのでしょうか? 更なる拡大路線を突き進む力を失った社会が、ついにそのエネルギーを内向きに振るい出したそのタイミングで、スペイン人の征服者が姿を現しました。千六百万の人口を抱える大帝国が、たった百六十人の兵士に滅ぼされてしまったのです。
ペルー

インカの絶頂期と衰退の翳

インカ帝国の絶頂期は、実は内部システムの欠陥が招いたものでした。次々領土拡張を繰り返さないと、自分の権力基盤を維持できない。どこかの世代が大成功すると、次の世代も同じレベルの成功を要求されてしまう仕組みになっていました。それが内紛を招く原因となったのです。
ペルー

英雄パチャクティの真実

9代皇帝パチャクティは、伝説にある通りの英雄だったのでしょうか? 断片的な事実を拾い上げていくと、悩み多き簒奪者の横顔が見えてきます。彼はインカの伝承を都合よく作り変え、権力基盤の強化を進めました。ですがそれが、後にインカにとっての負の遺産となるのです。
ペルー

インカの曙

インカ帝国は、いきなり出現したのではありません。先行する文明の知識と技術を受け継いだ集団が、クスコの谷に移住したところから始まりました。彼らは恐らくティワナク文明の生き残りで、しかも最初は大きな権威を伴ってはいなかったようです。
ペルー

ペルーのその他の地域の観光

ペルー=インカ、ではありません! アマゾンの源流、ナスカの地上絵、それにモチェ文化の色鮮やかな壁画など、見所はまだまだ満載です。マチュピチュだけで満足して帰国してしまうのは、あまりにもったいないです。是非ともペルーを味わいつくして欲しいものですね。
ペルー

ティティカカ湖の観光

インカ発祥の地、ティティカカ湖の観光です。まず目を引くのが、葦舟の集落であるウロス島。ここで宿泊することもできますから、ムードに浸りたい方にはうってつけです。また、ボリビアとの国境地帯でもあるので、長期旅行者なら、ここから他国に抜けていくのもありですね。
ペルー

ウルバンバの観光

クスコ近郊の観光ポイントは、他にもまだまだたくさんあります。ピサックやチンチェーロといった昔のインカ時代の領地、それにモライ遺跡のような実験施設、マラス塩田。これらを見てまわろうと思ったら、2~3日は必要でしょう。ですがその価値はあります。
タイトルとURLをコピーしました