京城や慶州といった韓国の観光情報、その他歴史や豆知識、地域事情などを紹介します。

歴史認識はアンタッチャブル
歴史を楽しむのは心の中だけに
世の中には、避けて通りたいところですが、なかなか避けられない、イヤな話題というものがあります。 韓国の場合、それが「歴史問題」です。
どこの国でもそうですが、自分達にとって都合の悪い歴史は隠蔽...

韓国語あれこれ
韓国語に関する小ネタと発音のお話です。ガイドブックにはルビが振ってありますが、それはしばしば不正確で、間違った発音を指示しています。あちらで「何言ってるの?」と思われないためにも、少しは発音のルールを知っておきましょう。

朝鮮王国の滅亡
清朝の勃興から日韓併合までの歴史を何とか無理やりまとめました。この辺りから、史料によって記述の食い違いが増えてきます。見解の違いその他もあるので、何が正しいかは言い切れないところが多々あります。朝鮮半島の歴史は苛烈で、多くの資料が散逸してしまったのも、問題を難しくしています。

李氏朝鮮の歴史
李朝時代の前半についてのまとめです。李成桂は成り行きで王になりましたが、殺しあう息子達に絶望して仏教に縋る晩年を送りました。それから太宗と世宗の時代に李朝は栄え、学問も進みました。その後混乱もあったものの世祖、成宗が中興を果たしました。しかし成祖の時代に秀吉の侵略を受けます。

高麗の歴史
474年に渡って朝鮮半島を支配した高麗王朝の歴史は、苦難の中世そのものでした。遼、金、そしてモンゴルと、北方の勢力に絶えず攻め込まれ続けました。末期には紅巾賊と倭寇にも悩まされました。しかし、この時代の社会・文化的遺産が、今の朝鮮半島を形作ったのです。

渤海と統一新羅の盛衰
新羅は半島統一後、およそ二百五十年間に渡って続きます。ですが、その繁栄は最初の百年ほどで終わり、9世紀を通じてずっと混乱が続きました。続く飢饉と盗賊の跋扈、繰り返される反乱。10世紀に入る頃には、完全に内乱状態になってしまっていました。

新羅の三国統一
新羅は三国の中で最も後発で、弱小国でした。仏教の導入も百五十年も遅れ、高句麗や百済の風下に立ちながら、ようやく六世紀に入ってから、躍進します。しかしその後は両国の包囲網に悩まされ、一時は孤立状態に陥りました。そこから唐の力を借りて、三国を統一します。

百済の歴史とその謎
百済の歴史は、三国の中でもっとも謎に包まれています。しかもその歴史は、倭国とも切り離せません。まるで運命共同体でもあるかのように、倭国軍は白村江の戦いで壊滅しました。こうまで深い関わりがあった百済という国は、いったいどんな存在だったのでしょうか。

高句麗の歴史
紀元前後から勃興してきた高句麗は、朝鮮半島北部を中心に少しずつ拡大していきました。強盛となった5世紀には契丹人、女真人相手にも覇を唱え、百済を屈服させ、国威は大いに振るいました。しかし内紛から衰退を招き、新羅と唐の同盟に挟まれて7世紀後半に滅亡します。

謎だらけの三韓時代
朝鮮半島南部は、小国の集合体でした。大きくは三韓に分かれていましたが、その由来はさまざまで、インド出身者までいたらしいということがわかっているくらいです。済州人のように、そもそもの由来が不明な集団もあるのです。この中から、やがて新羅と百済が勃興してきます。