中央アジア、西アジア、北アフリカ

ウズベキスタン

ウズベク人のジェンダー観と社会

ウズベキスタンはイスラム圏ですが、ロシア文化圏にも含まれています。性的には、特に都会であれば、思った以上に開放的なのがわかるでしょう。しかし、それでも習慣や考え方の根深いところでは、いまだに保守的な部分が残っているのです。
ウズベキスタン

ウズベキスタンの現代史

ロシア帝国による征服以降のウズベキスタンの現代史を説明します。ソ連邦内では綿花の栽培が強制され、イスラム教は弾圧され、古来からのアラビア文字表記も廃止されて、知識も伝統も失われていきました。しかし、二十世紀末に独立を果たします。
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バーブルの奮戦と三ハン国

ティムール帝国は、まさにティムールの死とともに崩壊を始めました。シャー・ルフとウルグ・ベクによる小康状態の後、分裂と内紛は悪化の一途を辿りました。そうした内乱の最中に生を享け、乱世を生き切ったのがバーブル、後のムガル帝国創始者です。
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ティムール帝国

チャガタイ・ハン国の混乱の中から台頭したのがティムールでした。彼は一代で中央アジアを中心に、広大な世界帝国を築きます。しかし、その軍事的成功は、ごく短期間で失われました。一方で、ヘラートを中心に、文化的には繁栄を極めました。
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モンゴル襲来

13世紀初頭、中央アジアに侵入したモンゴル軍は、あっという間にホラズム・シャー朝を破り、広大な地域を征服しました。しかし、どうして開戦し、またどうしてこうまで一方的な戦いになってしまったのか。今もって謎は少なくありません。
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中央アジア、戦乱の中世

サーマーン朝滅亡後の中世中央アジアは、特定の勢力が長期間、領土を支配していたという説明ができないほど、乱れに乱れていました。カラハン朝は比較的長期間、存続しましたが、その実質的な権力は百年も続きませんでした。この状況でモンゴル軍が侵入するのです。
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タラス河畔の戦いとその後

古代から中世へと移り変わる中央アジアの歴史を説明します。タラス河畔の戦いを経て、中央アジアはイスラム化しました。この時点ではまだ、住民のほとんどは主としてイラン系遊牧民の子孫、いわゆるソグド人だったと考えられます。
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中央アジアの古代史

ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンなどの国々に分割される前、古代の中央アジアはどんな歴史を辿ってきたのか。イスラム勃興と唐帝国の侵入以前の古代世界について説明します。
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“Rahmat”の謎を追え

ウズベク語の補足記事です。いったいウズベク語はどこでどうやって発展した言葉なのでしょうか? その起源に迫ります。
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旅行で役立つウズベク語

旅行中に役立つウズベク語を紹介します。特に、絶対に知っておかないと後悔する言葉もあるので、是非ご覧になってください。Googleの機械翻訳では誤訳も混じるし、発音も出ません。ウズベク語をまったくご存じないなら、目を通す価値あり! です。
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